2006年(平成18)6月成立、同年10月施行された、自殺対策の総合的な推進、自殺の防止および自殺者の親族等への支援の充実等を図るための法律。平成18年法律第85号。この法は、第1章総則、第2章基本的施策、第3章自殺総合対策会議の3章で構成され、基本理念に「自殺が個人的な問題としてのみとらえられるべきものではなく…」と明言、国、地方公共団体、事業主の責務を明記したほか、国民の責務にも積極的に言及した意味は大きい。
自殺は社会経済事情に連動して変遷するが、第二次世界大戦後のわが国の自殺者のピークは3回ある。第1回目は1958年(昭和33)の自殺率(人口10万対)25.7をピークとする鋭い山で、1956年からの、いわゆる「安保(あんぽ)闘争」をはさんだ60年までであった。このときの自殺者の構成は年齢からみるとほぼ50%が30歳未満で、50歳以上の自殺者は全体の約30%であった。経済成長の著しかった1970年代に入ると自殺は激減し、自殺率は14~15となるが、ふたたび自殺率が20を超えたのが83年で、この第2回目のピークは台形であった。そのときの自殺者の年齢構成は50%が50歳以上であり、40歳以上では自殺者総数の70%以上となった。なお、30歳未満は12%と激減し、第1回目とはまったく様相を異にしている。また、この第1回目と第2回目のピークを形成したものとは、ほぼ同じ世代であることも注目に値する。
第3回目のピークは1998年に突然現れたといってもいい。第2回目の台形のピークを過ぎてからはわが国の自殺は自殺率20前後を上下していたが、1998年には実数で3万1755人の自殺者が出た。この数値はわが国では未曾有(みぞう)のもので、それ以降の10年間、ほんの一時期に3万人を切ったときもあったが、ほぼ3万人の自殺者が出ている。長引く第3回目のピークの自殺者の年齢構成で特異的なのは、いわゆる団塊(だんかい)の世代(1947年~49年に生まれた第一次ベビーブーム世代)がこのピーク形成に大きく関わっていることである。
以上の深刻な状況を背景に1999年からは3億円の予算が自殺防止施策に投入され、有識者会議による検討などが行われ、急ピッチで自殺防止対策が進められるところとなり、自殺対策基本法の成立に至った。同法第2章にもある「調査研究の推進」を図るという目的を果たすために、2006年10月には国立精神・神経センター精神保健研究所に自殺予防総合対策センターが設置された。さらにまた、自殺防止のための総合的な対策を推進する目的で、内閣府は07年6月に示した自殺総合対策大綱で「自殺は追い込まれた末の死」であるという基本認識の上に立って「自殺は防ぐことができる」としたほか「遺(のこ)された人の苦痛を和らげる」必要性を明らかにし、その対応の実施を迫った。これらの動きを受けて都道府県でも自殺防止のためのさまざまな動きが活発になってきている。
[吉川武彦]
(田中信市 東京国際大学教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
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