船木荘(読み)ふなきのしょう

百科事典マイペディアの解説

船木荘【ふなきのしょう】

近江国にあった荘園琵琶湖の南東岸の蒲生(がもう)郡(現滋賀県近江八幡市),西岸の高島郡(現高島市)に同じ船木荘があり,史料上から分別することは難しい場合がある。1184年に源頼朝が武家の狼藉を停止して神事用途を進めるべきことを諸国に命じた際,賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)領のうちに舟木荘がみえる。1268年には日吉神社に付され,1330年には延暦(えんりゃく)寺に付与されるなど,山門(さんもん)の干渉にさらされた。1379年,山城醍醐(だいご)寺三宝(さんぼう)院は当荘の沙汰人が守護役と号して年貢を押領するなどしているとして,幕府にその停止を依頼している。1419年後小松上皇は禁裏(きんり)料の船木荘を三宝院に与えているが,のち三宝院と朝廷は紛争を起こしている。ほか京都三鈷(さんご)寺領,京都南禅寺領などがあった。高島郡の船木は安曇(あど)川の河口域で,平安後期に上賀茂社領の安曇川御厨(みくりや)の贄(にえ)を納める供祭(ぐさい)人が船木北浜に集住していたらしく,1232年に〈船木北浜供菜人〉とみえる。かれらは4番に分けて簗(やな)をかけていたが,安曇川での漁労のみならず,賀茂社供祭人として琵琶湖でも特権を保証されていた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふなきのしょう【船木荘】

近江国の荘園。同名の荘園が蒲生郡(現,滋賀県近江八幡市あたり)と高嶋郡(現,滋賀県安曇川(あどがわ)町あたり)にあり,ともに琵琶湖に面していた。史料上に登場する船木荘がこの二つのうちどちらであるかを決定することは難しいが,平安末期から史料上にみえる賀茂別雷(かもわけいかずち)神社領船木荘は蒲生郡か。室町期以降,醍醐寺三宝院領,禁裏料所として船木荘がみえるが,蒲生郡か高嶋郡かを決定できない。高嶋郡船木荘付近には安曇川の河口があり,その北側の浜を船木北浜と呼んだが,ここには古くから川に簗(やな)をかけ網を引く漁民が根拠を置いていた。

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