船王(読み)ふねのおう

改訂新版 世界大百科事典 「船王」の意味・わかりやすい解説

船王 (ふねのおう)

天武天皇の孫,舎人親王の子。生没年不詳。《万葉集》に作歌があり,《日本霊異記》に説話がある。727年(神亀4)従四位下,743年(天平15)従四位上,のち弾正尹から治部卿となる。757年(天平宝字1)皇嗣選定のとき,孝謙天皇に〈閨房修らず〉と退けられたが直後に正四位下となった。さらに大宰帥となるが在京し,百済敬福らと橘奈良麻呂の変関係者の拷問にあたり,黄文王,道祖(ふなど)王らを殺し,正四位上。翌年,唐で数年前におきた安禄山の乱への警戒を大宰府に命じたときの勅に,帥の船王と大弐の吉備真備はともに碩学で,その名は当代に顕るとされている。淳仁天皇即位により,759年親王三品,信部(中務)卿に転じ,761年保良宮遷都に稲10万束を賜い,翌年二品。しかし,764年淳仁天皇廃立の日,さきに誅された藤原仲麻呂と共謀していたとして諸王に降ろされ,隠岐国に流された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「船王」の解説

船王 ふねのおう

?-? 奈良時代,天武天皇の孫。
舎人(とねり)親王の王子。淳仁(じゅんにん)天皇の兄。東大寺の大仏開眼会で伎楽頭(ぎがくのかみ)をつとめた。橘奈良麻呂(たちばなの-ならまろ)の変では,関係者を拷問し,黄文(きぶみの)王,道祖(ふなどの)王らを殺害した。天平宝字(てんぴょうほうじ)3年(759)親王となるが,8年藤原仲麻呂(なかまろ)の乱に関係したとして隠岐(おき)に流された。

船王 ふねおう

ふねのおう

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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