日本歴史地名大系 「良玄寺」の解説 良玄寺りようげんじ 奈良県:大和郡山市郡山城下茶町良玄寺[現在地名]大和郡山市茶町旧郡山城下の東部にある。瑞竜山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。寛永一六年(一六三九)本多政勝が播磨姫路藩から郡山藩に転封になり、かつて祖父忠勝・父忠朝が封地の上総大多喜(おおたき)(現千葉県大多喜町)に営んだ良玄寺を移し菩提寺とした。しかし本多氏は忠国の時、延宝七年(一六七九)陸奥福島藩に転封となった。次の領主松平氏の後、貞享二年(一六八五)旧本多氏と姻戚の本多忠平が郡山に入部の際、それまでの封地下野宇都宮(うつのみや)から雲幻(うんげん)寺を移し、良玄寺を廃してこれに代えた。昭和三九年(一九六四)本堂裏庭から本多政勝、その母・妻・長男勝行の墓碑が発掘された。 良玄寺りようげんじ 千葉県:夷隅郡大多喜町大多喜城下新町良玄寺[現在地名]大多喜町新丁浄土宗。金沢山と称し、本尊は阿弥陀如来。文禄四年(一五九五)大多喜城主本多忠勝が東葛飾(ひがしかつしか)郡東漸(とうぜん)寺(現松戸市)の了学を招き、寺領一〇〇石を寄進して良信(りようしん)寺を建立(九月二五日「本多忠勝判物」良玄寺文書)。この寺領は泉水(せんずい)村に所在していた(慶長一六年「本多忠朝寄進状」同文書)。元和元年(一六一五)に忠勝の子忠朝が大坂夏の陣で戦死し、その戒名三光院岸誉良玄によって寺名を良玄寺に改称、同年忠朝の後を継いだ忠光(政朝)が従来どおり寺領一〇〇石を安堵している(同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by