日本歴史地名大系 「茶町」の解説
茶町
ちやまち
大町筋の西の通りで、北は
茶町の由来は
新たに移った茶町筋は、同日記寛永七年三月二六日条に、「馬口労町より茶町へ湊へ之往行致候様に割申たる町にて」とあり、いわば羽州街道の町であった。寛文三年(一六六三)の外町屋敷間数絵図(秋田県庁蔵)にみえる扇ノ丁東側間口一五間、梅ノ丁東側間口一四間の二つの御使者宿は、公的使者の宿泊・接待の施設であり、同じ寛文年間に茶町扇ノ丁西側に町奉行支配の駅場役所が設けられ、人馬継立てに使用した(秋田沿革史大成)。
茶町
ちやまち
茶町
ちやまち
寛文(一六六一―七三)より天和(一六八一―八四)頃までは敦賀茶商の全盛期で、万治―寛文(一六五八―七三)頃茶問屋二九・茶買二〇(指掌録)、天和頃茶問屋二三(遠目鏡)、寛文四年には茶仲間六人を置き、同五年の売茶は三万三千二四九本(一本は一二―一五貫)。
茶町
ちやまち
茶町
ちやまち
駿府城の北西、城下縦筋(縦町)第二行の両側町。北は
茶町
ちやまち
茶町
ちやまち
茶町
ちやまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報