花立町(読み)はなたてまち

日本歴史地名大系 「花立町」の解説

花立町
はなたてまち

[現在地名]秋田市高陽幸こうようさいわい町の一部

保戸野鉄砲ほどのてつぽう町の西に接する。「梅津政景日記」寛永六年(一六二九)六月一七日条に「羅く町」とあるのがそれで、武具馬具などを製造した。各種御城下絵図によれば、く町の東南隅に近く「ロウ」がある。「下モ牢」ともいい、既決獄舎であった(秋田沿革史大成)。「大町三丁目記録 永代帳」享保二年(一七一七)七月一二日、おお町・ちや町の町役の書上に、「ろう扶持代四軒家壱軒より壱ケ月ニ銭拾文ツツ」と「籠雪垣代毎年秋中大町・茶町六町より七拾弐匁」をこの町に渡すことが記される。


花立町
はなたてちよう

上京区室町通中立売下ル

町の中央を南北に通る室町むろまち(旧室町小路)の両側町。北は中立売なかたちうり(旧正親町小路)

平安京の条坊では左京北辺三坊の中央以南の地で、平安中期以降は正親町おおぎまち小路室町小路南の地。中央以東の地は平安前期官衙町の「内膳院」、後期は藤原資良邸にあたる(拾芥抄・日本紀略)。寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「花立町」とみえる。

町名は花屋某が奈良から来て住し、宮中に花を奉り、用命を受けたことによるという(坊目誌)


花立町
はなたてちよう

中京区衣棚竹屋町下ル

南北に通る衣棚ころものたな通を挟む両側町で、北を竹屋町たけやまち(旧大炊御門大路)、南を夷川えびすがわ(旧冷泉小路)が東西に通る。

平安京の条坊では、左京二条三坊二保六町の中央部にあたる。

町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「花立町」とあり、以後変化はない。当町には、菓子屋「立花や伊勢」(京雀跡追)、讃州丸亀藩京極家呉服所「鍵屋清兵衛」(貞享二年刊「京羽二重」)、武州岩槻藩小笠原家用達の「茗荷屋勘右衛門」(宝永二年刊「京羽二重」)、呉服屋「大もんしや七兵衛」、小笠原山城守の呉服所「大文字や源左衛門」(京独案内手引集)が居住。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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