芳賀郷(読み)はがごう

日本歴史地名大系 「芳賀郷」の解説

芳賀郷
はがごう

「和名抄」高山寺本は「波可」、東急本は「波加」と訓ずる。郷域について「名跡考」「名跡志」などは旧端気(はけ)村(現前橋市)にあてている。「日本地理志料」も同村を中心に五代(ごだい)・鳥取(とつとり)・神明(しんめい)・上細井(かみほそい)・下細井・青柳(あおやぎ)・龍蔵寺(りゆうぞうじ)・北代田(きたしろた)・上沖郷(かみおきのごう)・下沖郷(現前橋市)にわたる地とする。「上野国神名帳」勢多郡に「従三位鳥取明神」がみえ、現鳥取町に鎮座する大鳥(おおとり)神社とみられる。


芳賀郷
はがごう

「和名抄」東急本・高山寺本ともに訓を欠く。同書東急本の国郡部では郡名に「波加」と訓が付されているので、現在と同様に訓じてよい。しかし藤原宮跡出土木簡には郡名(評名)が「芳宜評」と記されているので、当初の郷名は郡名同様「はぎ」であった可能性もある。当郷の位置は一般に、現在の真岡(もおか)市中央部に求められる。同市付近は鬼怒川と五行(ごぎよう)川に挟まれた宝積寺(ほうしやくじ)丘陵上に遺跡分布が濃い。市中心部では集落遺跡の発掘例はないが、奈良―平安期の約一三〇軒にのぼる住居跡と一二棟の掘立柱建物跡が検出された下籠谷の井頭(しもこもりやのいがしら)遺跡や、同じく奈良―平安期の官衙的性格をもつ中(なか)の中村遺跡の存在は、真岡市付近の段丘上一帯が古くから人々の集住する地域であったことを物語っている。


芳賀郷
はがごう

「和名抄」所載の郷。諸本とも訓を欠くが、上野国勢多郡の同名郷には高山寺本は「波可」、東急本は「波加」と訓じる。現天童市芳賀を遺称地とし、同所を中心に同市蔵増(くらぞう)・寺津(てらづ)地区から荻野戸(おぎのと)地区方面に至る立谷(たちや)川右岸一帯に比定されている。


芳賀郷
はがごう

「和名抄」所載の郷で、高山寺本では耶麻郡にある。訓を欠く。「大日本地名辞書」は「今詳ならず(中略)船引・常葉・大越の辺に、旧郷名を欠けば、即そこか」とする。「相生集」に「芳賀とあるは郡山の旧名也。旧事記に村の東方八丁という処ありて、此辺及び横塚村などは和名抄にのせたる芳賀の郷也」とある。


芳賀郷
はがごう

「和名抄」に「芳賀」と記され、訓を欠く。「新編常陸国誌」に「按ズルニ、今ノ茨城郡栗崎村ナリ、コノ村ノ鎮守ヲ芳賀明神ト云フ、又芳賀前ト云ヘル地アリ」とあり、現東茨城郡常澄(つねずみ)村栗崎(くりざき)に比定する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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