芽室村
めむろむら
[現在地名]河西郡芽室町本通・西一条・西二条・西三条・西四条・西五条・西六条・西七条・西八条・西九条・西十条・西十一条・東一条・東二条・東三条・東四条・東五条・東六条・東七条・東八条・東九条・東十条・東十一条・東十二条・本通南・西一条南・西二条南・西三条南・西四条南・東一条南・東二条南・東三条南・東四条南・東六条南・東七条南・芽室基線・芽室北・芽室南・上芽室・上芽室基線・上芽室北・上芽室東・上芽室南・中美生・東芽室基線・東芽室北・東芽室南・美生・伏美・新生・新生南・新朝日・渋山、上川郡清水町御影本通・御影東一条・御影東二条・御影東三条・御影東四条・御影東五条・御影東六条・御影東七条・御影東八条・御影西一条・御影西二条・御影西三条・御影東一条南・御影東二条南・御影東三条南・字御影・字旭山
明治初年(同二年八月から同六年の間)から同三九年(一九〇六)まで存続した河西郡の村。
芽室村
めむろむら
大正四年(一九一五)から同一〇年まで存続した河西郡の村。大正四年四月、二級町村芽室村は同郡伏古村の一部を編入、従来からの五大字に大字伏古村を加えた六大字を編成した。同五年末の戸口は一千七七八戸・九千一三三人。同八年四月一級町村制を施行。大正八年二月には大字羽帯村に佐念頃郵便局が開業、同九年に帯広―芽室間に電信電話が開通するなど、通信面で利便性が高まった。同年の戸口は二千九五七戸・一万五千七一九人と膨張。
芽室村
めむろむら
明治三九年(一九〇六)から大正四年(一九一五)まで存続した河西郡の二級町村。明治三九年四月、河西郡芽室村・美生村、羽帯村(現清水町)、河東郡美蔓村・西士狩村が合併して成立した。同四〇年八月には官設鉄道十勝線(現JR根室本線)が開通し、芽室駅、佐念頃駅(現清水町御影駅)が開業した。それまで市街地は旭川―帯広間の道沿いに形成され、戸長役場・郵便局・小学校・巡査駐在所・寺院・商店などができていた。
芽室村
めむろむら
大正一〇年(一九二一)四月の御影村(現清水町)分離後、昭和一七年(一九四二)まで存続した河西郡の一級町村。御影村分離後の戸数一千九一四戸・人口一万五二五人。大正一〇年七月帯広区裁判所芽室出張所が開設され、同年上美生郵便局、同一一年には芽室太郵便局が開局した。昭和六―七年の大凶作・風水害で住民の生活が脅かされて農家子女の出稼や身売りなどもみられ、さらに同一〇年の豪雨では各河川が氾濫し被害を大きくした。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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