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若山城 わかやまじょう

日本の城がわかる事典の解説

わかやまじょう【若山城〈三重県〉】

三重県亀山市にあった城。鎌倉時代の1264年(文永1)、平実忠が築き、峯城から居城を移して関氏を名乗った。その後の戦国時代には、城主の関氏は北畠氏に臣従して一帯を領有した。織田信長の伊勢侵攻後、関盛忠は蒲生賢秀に属した。しかし、1574年(天正2)の長島一向一揆との戦いで、城主の関盛忠が戦死すると、関氏一族・家臣団は離散し、若山城は空城となって荒廃した。その後、蒲生氏郷(がもううじさと)麾下の関一政が若山城に入城したが、1590年(天正18)に蒲生氏郷の会津転封に従って若山城を去った。代わって、この地に入城したのは岡本宗憲である。宗憲は若山城の東に新たに亀山城を築城した。亀山城の完成に伴って若山城は廃城となった。城址下には「亀山古城址」の碑と案内板がひっそりと立っている。JR関西線亀山駅から徒歩約20分。◇亀山古城ともよばれる。

わかやまじょう【若山城〈山口県〉】

山口県周南市にあった中世の山城(やまじろ)。徳山湾をのぞむ標高217mの若山山頂に築かれ、守護大名の大内氏の重臣・陶(すえ)氏の居城であった。山頂の本丸を中心に、尾根上に二の丸、三の丸、西の丸、蔵屋敷が配された。築城年代については諸説あり、南北朝時代の陶弘政(すえひろまさ)の時とも、室町時代の陶弘護(すえひろもり)の時ともいわれる。1551年(天文20)陶隆房(すえたかふさ)は、主君の大内義隆(おおうちよしたか)に謀反を起こし若山城で挙兵、山口に侵攻して義隆を自害に追い込んだ。隆房は大内氏の実権を握るとともに、名を晴賢(はるかた)に改めた。1555年(弘治1)陶晴賢は安芸の厳島の合戦で毛利元就(もうりもとなり)と戦うが、敗れて戦死。同時に、晴賢の子長房(ながふさ)が守る若山城も杉重輔(すぎしげすけ)に攻められ落城、長房は自刃し、陶氏は滅亡した。その後、若山城は陶氏の遺臣が守っていたものの、1557年(弘治3)毛利氏によって再び攻め落とされ、やがて廃城となった。現在、各所に曲輪(くるわ)跡や空堀、石垣が残る。JR山陽本線福川駅から徒歩60分。◇富田若山城(とんだわかやまじょう)、周防若山城(すおうわかやまじょう)ともいう。

出典|講談社日本の城がわかる事典について | 情報

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