新撰 芸能人物事典 明治~平成 「若杉弘」の解説
若杉 弘
ワカスギ ヒロシ
- 職業
- 指揮者
- 肩書
- NHK交響楽団正指揮者,新国立劇場オペラ芸術監督,東京芸術大学名誉教授 日本芸術院会員(洋楽)〔平成6年〕
- 生年月日
- 昭和10年 5月31日
- 学歴
- 慶応義塾大学経済学部中退,東京芸術大学指揮科〔昭和36年〕卒,東京芸術大学専攻科〔昭和38年〕修了
- 経歴
- 父は外交官で、幼い頃をニューヨークで過ごす。慶応義塾大学経済学部に進んだが中退して東京芸術大学の声楽科に入り直す。芸大1年の時に、先輩・岩城宏之が指揮するオペラ「ねじの回転」をプロンプターとして手伝った際、岩城が交通事故に遭ったため稽古の代役を務めることとなり、その稽古の進み具合をみた岩城から“君、指揮者に向いているんじゃないか”と言われた。在学中の昭和34年、二期会公演「フィガロの結婚」を指揮し、同年指揮科に転科。大学を卒業すると岩城の紹介でNNK交響楽団指揮研究員となり、36年東京交響楽団を指揮してデビュー。40年読売日本交響楽団常任指揮者。同い年の小沢征爾や、少し上の岩城、外山雄三らと日本の楽壇を牽引し、多くの作曲家の作品を初演したが、特に我が国の音楽界でも陽が当たらなかったオペラの指揮を志して、シェーンベルク「グレの歌」、ペンデレツキ「ルカ受難曲」、ワーグナー「パルジファル」「ラインの黄金」などの日本初演を指揮、今日のオペラ受容の基礎を築いた。52年から6年間、ケルン放送交響楽団の首席指揮者を務め、56年には東洋人として初めてライン・ドイツオペラ音楽総監督に就任。57年からはドレスデン国立歌劇場(ザクセン州立歌劇場)および同管弦楽団の常任指揮者。61年東京都交響楽団音楽監督となり、62年首席指揮者も兼任。同年チューリヒ・トーンハレ管弦楽団芸術総監督を兼任、平成3年ドレスデン国立歌劇場の音楽総監督を務めるなど、1980年代から1990年代初頭にかけては主にドイツを舞台に活動した。その後、再び日本に拠点を移し、5年鎌倉芸術館の音楽監督、7年NHK交響楽団正指揮者、8〜18年滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールの芸術監督、9年東京芸術大学演奏芸術センター教授を歴任。17年新国立劇場芸術参与となり、19年オペラ部門の芸術監督。滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール芸術監督時代には「ドン・カルロ全5幕版」を皮切りに「群盗」「ジャンヌ・ダルク」「アッティラ」「エルナーニ」「シチリアの夕べの祈り」「十字軍のロンバルディア人」「スティッフェリオ」「海賊」と9つのヴェルディ作品を日本初演。新国立劇場オペラ部門芸術監督としては、20年超難曲として名高いツィンマーマン「軍人たち」を日本初演した他、同年山田耕筰「黒船」、21年清水脩「修善寺物語」といった日本人作のオペラを復活上演させ、同年に亡くなるまで日本を代表するオペラ指揮者として活躍した。
- 受賞
- 日本芸術院賞(第48回 平3年度)〔平成4年〕 芸術選奨〔昭和41年〕,毎日芸術賞〔昭和42年・55年〕,サントリー音楽賞(第18回)〔昭和61年〕,有馬賞(第10回)〔平成2年〕,モービル音楽賞(洋楽部門 第21回)〔平成3年〕,京都音楽賞(大賞 第6回)〔平成3年〕,朝日賞(平4年度),飛騨古川音楽大賞(第5回)〔平成5年〕,レコード・アカデミー賞(第31回)〔平成5年〕,ジロー・オペラ賞(大賞 第22回)〔平成6年〕,東京都文化賞(第11回)〔平成7年〕
- 没年月日
- 平成21年 7月21日 (2009年)
- 家族
- 妻=長野 羊奈子(メゾソプラノ歌手)
- 伝記
- 青春のNHK音楽部演奏家26人の意見―中河原理・音楽対談集 花輪 一郎 著中河 原理 著(発行元 文芸社帰徳書房,星雲社〔発売〕 ’09’89発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報