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英仏海峡トンネル

大辞林 第三版の解説

えいふつかいきょうトンネル【英仏海峡トンネル】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

英仏海峡トンネル
えいふつかいきょうトンネル

ユーロトンネル」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

英仏海峡トンネル
えいふつかいきょうとんねる
Channel Tunnel

イギリス海峡(英仏海峡)の最狭部にあたるドーバー海峡の海底を貫いた、イギリスとフランスを結ぶトンネルユーロトンネルEurotunnel、ドーバー・トンネルDover Tunnelともいう。その計画の歴史は古く、ナポレオン時代にまでさかのぼることができるという。その後多くの計画が現れたが、単なる構想か簡単な調査にとどまっていた。トンネル計画が具体化した最初のものは、イギリスの著名な鉄道・運河土木技術者であるジョン・ホークショーJohn Hawkshaw(1811―1891)が、サウス・イースタン鉄道とロスチャイルド家の財政的支援を受けて1865~1866年に行った海底地質調査で、この結果、トンネル掘削が技術的に可能であることが明らかにされた。この調査によって、イギリス、フランス両国間にトンネル掘削への関心が高まり、イギリスでは1872年、フランスでは1875年にそれぞれのトンネル会社が組織されて、1882年、両岸で立坑と海底に向かっての試掘坑の掘削に着手した。しかし、工事着手後イギリス国内に、トンネルが国防上の障害になるおそれがあるという理由で反対運動が起こり、イギリス議会も反対の決議をしたので、1883年に工事は中止された。それまでに両岸の立坑からイギリス側は6200フィート(1891メートル)、フランス側は6027フィート(1838メートル)の試掘坑を海底に前進させていた。その後、第一次世界大戦中の1916年、戦間期の1924年、1929~1930年にも計画は再燃し、調査と設計が行われたが着工には至らなかった。
 第二次世界大戦後は1958年以降、イギリス、フランス両国政府間でトンネル建設についての検討が行われた。1986年にようやく海峡トンネル条約に調印、公的資金を投入せず民間資金による建設が決定されて、建設と開業後の営業主体となるユーロトンネル社が設立された。
 トンネルはイギリス側のフォークストン付近とフランス側のカレー付近を結び、長さ約50キロメートル(うち海底部分約37キロメートル)で、円形断面の単線トンネル(直径7.6メートル)2本が中心間距離30メートルを保って平行し、その中間にパイロット・トンネルとして作業トンネル(直径4.8メートル)1本が設けられている。1987年に着工され、しばしば資金不足の危機に遭遇したが、1990年にパイロット・トンネルと本坑が貫通し、1994年5月6日に開通式が行われた。
 交流25キロボルト、50ヘルツで電化された鉄道トンネルであり、自動車輸送専用のシャトル列車「ル・シャトル」(営業開始はトラック1994年5月19日、乗用車1994年12月22日、大型バス1995年6月26日、キャラバン車1995年9月30日)、ロンドン―大陸諸都市間の特急旅客列車「ユーロスター」(営業開始は1994年11月14日)、直行貨物(コンテナ)列車(営業開始は1994年6月1日)が走る。ル・シャトルは時速140キロメートル、ユーロスターは時速300キロメートルを最高速度として運転される。
 ユーロトンネル社は開業翌年の1995年には早くも巨額の負債による破産危機に直面したが、1997年に財政再建計画が融資銀行団の承認を得て、当面の破産を回避した。しかし2006年に経営破綻。その後、グループユーロトンネル社Group Eurotunnel S.A.が英仏海峡トンネルの管理運営を引き継いでいる。[青木栄一・青木 亮]

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