デジタル大辞泉
「英独海軍協定」の意味・読み・例文・類語
えいどく‐かいぐんきょうてい〔‐カイグンケフテイ〕【英独海軍協定】
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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英独海軍協定
えいどくかいぐんきょうてい
Anglo-German Naval Agreement
1935年6月イギリス,ドイツ間に結ばれた協定。ドイツの軍艦保有量をイギリスの 35% (42万t) とし,潜水艦は 45%以下とすることを定めた。ナチス・ドイツによる海軍再軍備を阻止できないと考えたイギリスは,宥和政策の一つとして,フランス,イタリア両国に相談することなく取決めたもの。これによって同年4月,イギリス,フランス,イタリアの首脳がストレーザに会し,ドイツの再軍備宣言に抗議した,いわゆるストレーザ戦線は実質的に崩壊するとともに,ドイツはベルサイユ条約が課したきびしい海軍軍備制限条項から解放された。なお協定は 39年4月,ドイツによって一方的に破棄された。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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英独海軍協定(えいどくかいぐんきょうてい)
Anglo-German Naval Agreement
1935年6月ロンドンで調印されたイギリスとナチス・ドイツとの間の海軍協定。イギリスはドイツにイギリス帝国全海軍の35%の海軍保有量を認め,ヴェルサイユ条約によるドイツ海軍の制限を修正した。これに先立ち,ドイツは再軍備宣言によって陸軍を拡張し,空軍の復活を唱えており,イギリスはドイツの再軍備を承認した形となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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英独海軍協定
えいどくかいぐんきょうてい
Anglo-German Naval Agreement
1935年6月18日,イギリスがナチス−ドイツの艦隊保有について結んだ協定
1935年3月ヒトラーがヴェルサイユ条約の軍事条項の破棄を宣言すると,4月,イギリス・フランス・イタリアはストレーザ会議でこれを非難したが,イギリスは単独で秘密裡にドイツと妥協し,6月この協定を成立させた。これによりドイツの海軍力はイギリスの35%となり,いっきょに4倍になった。第二次世界大戦前のイギリスの対独宥和政策の1つ。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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「英独海軍協定」の意味・わかりやすい解説
英独海軍協定【えいどくかいぐんきょうてい】
1935年英独間で調印された協定。ドイツは英国海軍の35%に当たる軍艦を保有できることになった。これはベルサイユ条約の修正であり,この協定によって英国はドイツの再軍備を承認した形になった。1939年ドイツはこの協定を破棄した。
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の英独海軍協定の言及
【第2次世界大戦】より
…その手掛りとして提案したのが,一つは海軍に関する軍備制限であり,もう一つは植民地問題であった。34年の半ばごろから,ヒトラーは海軍の要求を抑えるかたちでドイツの海軍力をイギリスの1/3とする条約の締結を考え,イギリスに打診を始め,その結果35年6月18日英独海軍協定が締結された。おりしもドイツの孤立が顕著になっていた時であったがゆえに,大きな意味をもつことになった。…
※「英独海軍協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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