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范文瀾 はんぶんらん

4件 の用語解説(范文瀾の意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

范文瀾【はんぶんらん】

中国の歴史家。浙江省紹興県生れ。北京大学卒業。1940年に中国共産党の拠点である延安に入り,マルクス主義の観点から中国通史を研究。中華人民共和国独立後,中国科学院近代史研究所所長,中国共産党中央委員。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

范文瀾 はん-ぶんらん

1893-1969 中国の歴史学者。
光緒19年10月8日生まれ。日本に留学,河上肇の著作などから社会主義をまなぶ。帰国後は北京大などでおしえ,1940年中国共産党に入党。41年延安でマルクス主義にたった「中国通史簡編」をあらわす。50年歴史研究所第三所の所長。1969年7月29日死去。77歳。浙江省出身。北京大卒。著作に「中国近代史」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

はんぶんらん【范文瀾 Fàn Wén lán】

1893‐1969
中国の歴史家。浙江省紹興県の人。北京大学を卒業して日本に留学,河上肇の著作などから社会主義を学んだ。帰国後,大学で教鞭をとるも,1940年に延安に入り,マルクス主義に立つ中国通史研究の先河を開いた。解放後,中国科学院近代史研究所所長,中共中央委員などの要職にありながら著述に励んだ。著書に《中国通史簡編》《中国近代史》(ともに未完)などがある。【狭間 直樹】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

范文瀾
はんぶんらん / ファンウェンラン
(1893―1969)

中国、現代の文学者、歴史学者。浙江(せっこう)省紹興(しょうこう)県の人。四書五経の教育を受けたが、中学時代には西欧の翻訳小説を愛読した。1914年に北京(ペキン)大学中国文学科に入学。卒業後、校長蔡元培(さいげんばい)の秘書となったが、日本に留学し、マルクス主義に目を開かれたといわれる。帰国後、南開大学で教鞭(きょうべん)をとり、26年に『群経概論』を出版。一方、反帝愛国運動にも関与し、30年には北京の自宅で魯迅(ろじん)らの左翼作家連盟の代表と会っている。
 このころから歴史学に転じ、31年に『正史考略』を出版。40年には河南大学を辞して延安に行き共産党に入党。41年に共産党幹部教科書として『中国通史簡編』を著し、マルクス主義の視点にたつ中国史の教本として評価された。45年には『中国近代史 上』を出版、『中国通史簡編』の修訂に精力的に取り組む一方、50年には中国科学院中国近代史研究所長、54年には第1回全国人民代表大会代表となった。[春日井明]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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