…鈴木三重吉が〈子供たちの学校の唱歌なぞが,その歌章と附曲と二つながら,いかに低俗な機械的なものであるかといふことは,最早罵倒するにさへ価しない〉と述べているように,徹底した学校の唱歌の批判の上に立っていた。作曲は初め成田為三があたり,次いで山田耕筰が加わり弘田竜太郎,藤井清水(1889‐1944),草川信(1893‐1948),中山晋平ら当時の第一級の音楽家が参加していた。詩がわらべうたなどの日本の伝統の上に立とうとしていたのに対し,曲は西洋音楽を基礎とし伝統とはほど遠いものであった。…
…佐賀県立師範学校の教諭に赴任したが,作曲家を志望して再び上京し,雑誌《赤い鳥》の童謡運動に共鳴して,同誌1919年5月号に《かなりや》(西条八十作詞)を発表。以来,弘田竜太郎や草川信(1893‐1948。白秋の詩による《揺籠のうた》(1922)ほか)らの作曲家とともに詩人と協力して,従来の唱歌とはちがった創作童謡の新境地を開拓した。…
※「草川信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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