草川信(読み)クサカワ シン

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「草川信」の解説

草川 信
クサカワ シン


職業
作曲バイオリニスト

肩書
音羽ゆりかご会会長

生年月日
明治26年 2月14日

出生地
長野県 上水内郡長野町(長野市)

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)甲種師範科大正6卒

経歴
銀行員の子として生まれる。長兄の草川宣雄、三兄の友忠ともに長じて東京音楽学校の教師となった。長野県師範学校附属小学校時代、音楽教師を務めていた若き日の福井直秋の影響を受け、音楽を志す。また兄の宣雄とともに教会に通い、讃美歌やオルガンにも興味を惹かれた。大正3年長野中学から東京音楽学校に入学してバイオリンを専攻し、安藤幸、多久寅、弘田竜太郎、島崎赤太郎らに師事。6年卒業後も母校嘱託として奉職するとともに、同校管弦楽団の首席バイオリン奏者としても活躍した。9年福井の世話で東京府立第三高等女学校の教師となり、のち成蹊学園などでも教える。作曲家としても活動し、はじめはバイオリンを中心とした器楽曲や歌曲を中心に作曲を進め、たびたび作品発表会を開催。昭和に入ってからもNHKラジオの現代音楽の時間などに作品を発表した。一方、10年に音楽学校の同期であった成田為三の紹介で雑誌「赤い鳥」に参加するようになってからは本格的に童謡に取り組み、以後、西条八十作詞の「お山の大将」、北原白秋作詞の「ゆりかごの歌」、百田宗治作詞の「どこかで春が」などをはじめとして300曲以上の童謡を作曲。中でも中村雨紅作詞の「夕焼け小焼け」は、郷里・長野で送った少年の日々の情景を思い起こして作曲したもので、今なお広く愛唱されている。その曲調はバイオリニストらしい豊かな旋律と柔和な感覚とに特徴があるが、昭和期以降は大衆化が進み、日中戦争のさなかの昭和14年には出征する兵士を見送る情景を描いた富原薫作詞の「汽車ポッポ」を発表した(戦後には戦争と無関係な子どもによる機関車賛歌の歌詞に差し替えられた)。8年音羽ゆりかご会会長。しかし、戦争で長男を亡くし、失意のうち、23年に没した。他の作品に「風」「春の唄」「みどりのそよ風」「南の風の」、幾つかのバイオリンソナタなどがある。「草川信童謡全集」「草川信童謡曲集」「草川信日本バイオリン曲集」「思い出の記」が出版されており、絵もよくしたことから「どこかで春が」と題された水彩画集も刊行されている。

没年月日
昭和23年 9月20日 (1948年)

家族
兄=草川 宣雄(音楽教育家),草川 友忠(音楽教育家)

親族
甥=草川 啓(作曲家)

伝記
お猿のかごや―作詞家・山上武夫の生涯 神津 良子 ルポルタージュ(発行元 郷土出版社 ’04発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「草川信」の解説

草川 信
クサカワ シン

大正・昭和期の作曲家,バイオリニスト



生年
明治26(1893)年2月14日

没年
昭和23(1948)年9月20日

出生地
長野県長野市

学歴〔年〕
東京音楽学校(現・東京芸術大学)甲種師範科〔大正6年〕卒

経歴
小学校の音楽教師・福井直秋の影響を受け音楽を志す。安藤幸子、多久寅らに師事。作曲と管弦楽団の首席バイオリン奏者として活動の他、母校の嘱託、都内の学校教師を務めた。ポリドール専属。作曲では童謡で広く知られ、「赤い鳥」などに発表。代表作に「夕焼小焼」「ゆりかごの歌」「どこかで春が」「汽車ポッポ」などがあり、「草川信童謡全集」「草川信童謡曲集」「草川信日本ヴァイオリン曲集」が刊行されている。「夕焼小焼」の童謡碑は他に類のないほど多い。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「草川信」の解説

草川信 くさかわ-しん

1893-1948 大正-昭和時代前期の作曲家。
明治26年2月14日生まれ。東京音楽学校(現東京芸大)でバイオリンをまなび,卒業後母校の嘱託となる。大正10年雑誌「赤い鳥」にくわわり童謡の作曲をはじめ,北原白秋作詞「揺籃(ゆりかご)のうた」,中村雨紅作詞「夕焼小焼」,百田宗治(ももた-そうじ)作詞「どこかで春が」など約400曲を作曲した。昭和23年9月20日死去。56歳。長野県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の草川信の言及

【童謡】より

…鈴木三重吉が〈子供たちの学校の唱歌なぞが,その歌章と附曲と二つながら,いかに低俗な機械的なものであるかといふことは,最早罵倒するにさへ価しない〉と述べているように,徹底した学校の唱歌の批判の上に立っていた。作曲は初め成田為三があたり,次いで山田耕筰が加わり弘田竜太郎,藤井清水(1889‐1944),草川信(1893‐1948),中山晋平ら当時の第一級の音楽家が参加していた。詩がわらべうたなどの日本の伝統の上に立とうとしていたのに対し,曲は西洋音楽を基礎とし伝統とはほど遠いものであった。…

【成田為三】より

…佐賀県立師範学校の教諭に赴任したが,作曲家を志望して再び上京し,雑誌《赤い鳥》の童謡運動に共鳴して,同誌1919年5月号に《かなりや》(西条八十作詞)を発表。以来,弘田竜太郎や草川信(1893‐1948。白秋の詩による《揺籠のうた》(1922)ほか)らの作曲家とともに詩人と協力して,従来の唱歌とはちがった創作童謡の新境地を開拓した。…

※「草川信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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