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菅原為長 スガワラノタメナガ

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デジタル大辞泉の解説

すがわら‐の‐ためなが〔すがはら‐〕【菅原為長】

[1158~1246]鎌倉初期の学者。文章博士(もんじょうはかせ)参議勘解由(かげゆ)長官。有職故実に通じた。著「字鏡集」「文鳳鈔」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

菅原為長 すがわらの-ためなが

1158-1246 鎌倉時代の公卿(くぎょう),学者。
保元(ほうげん)3年生まれ。菅原長守の子。文章博士,大蔵卿,式部大輔(たいふ),参議を歴任し,土御門(つちみかど)以後5代の天皇の侍読(じどく)をつとめる。仁治(にんじ)元年正二位。「貞観(じょうがん)政要」を北条政子の依頼で和訳した。寛元4年3月28日死去。89歳。家名は高辻。編著に「文鳳鈔(ぶんぽうしょう)」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

菅原為長

没年:寛元4.3.28(1246.4.15)
生年:保元3(1158)
鎌倉前・中期の公卿,儒学者。父は大学頭菅原長守。その家は菅原氏より出,是綱を家祖とする高辻家。元暦2(1185)年秀才,文治3(1187)年献策,同年叙爵。このころ九条家に仕える。兵部少輔,式部少輔,大内記などを経て元久1(1204)年文章博士となる。同年土御門天皇の侍読となり,以後5代の天皇の侍読を勤める。建暦1(1211)年,従三位に叙し公卿に列する。菅原氏が公卿となったのは,道真以来のことであった。備後権守,大蔵卿を経て,承久3(1221)年には正三位,式部大輔。このころ北条政子の求めに応じて『貞観政要』を和訳し献じている。後鳥羽・順徳院に近侍した為長が承久の乱(1221)後にとがめを受けなかったのは,このように鎌倉幕府の求めに応じる才幹を備えていたからであろう。また九条道家の政権が成立すると,平経高,吉田為経らと共に,長きにわたりこれを補佐した。官は参議,位は正二位にまで昇り,「国之元老」として重んじられた。<著作>『文鳳鈔』

(本郷和人)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

すがわらのためなが【菅原為長】

1158~1246) 平安末期・鎌倉初期の学者。大学頭菅原長守の子。正二位参議・大蔵卿・文章博士。有職故実・和歌・書などに長じる。編著「文鳳鈔」「国史綱要」「帝王系図」など。

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