仙覚(読み)センガク

デジタル大辞泉 「仙覚」の意味・読み・例文・類語

せんがく【仙覚】

[1203~?]鎌倉時代万葉学者。常陸ひたちの人。天台宗の僧で、鎌倉新釈迦堂の権律師ごんのりっし万葉集の研究に志し、その校訂・訓点・注釈などに画期的な業績を残した。著「万葉集註釈仙覚抄)」「仙覚奏覧状」など。

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精選版 日本国語大辞典 「仙覚」の意味・読み・例文・類語

せんがく【仙覚】

  1. 鎌倉前期の万葉学者。天台宗の僧ともいう。常陸国茨城県)の人。はやくから「万葉集」の研究に志し、四四歳の時「万葉集」諸本の校合に従う。従来の無訓の歌に訓点を施すなど画期的な業績を残した。著、「万葉集註釈(仙覚抄)」「仙覚奏覧状」など。建仁三年(一二〇三)生。

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改訂新版 世界大百科事典 「仙覚」の意味・わかりやすい解説

仙覚 (せんがく)
生没年:1203(建仁3)-?

鎌倉時代の僧,権律師。宗門は天台宗か。優れた万葉学者として知られた。常陸国の生れと思われるが,主として鎌倉に住み,また武蔵国比企郡にいたこともある。1272年(文永9)まで生存していたことはわかるが,没年は不明。彼の万葉集研究は,(1)本文の校定,(2)訓点,(3)注釈に分かれる。(1)1246年(寛元4)彼が44歳のときの寛元本と,66年(文永3)64歳のときの文永本との2回にわたり,後者は前回に見られなかった諸本をも校合(きようごう)して正確度を増し,現存完本は皆この両本から出ている。(2)1246年はまた従来無訓のままであった152首の歌に新点を加えた年でもあるが,その後も改訓に努め,文永本はそれらを集大成している。(3)1269年に《万葉集註釈》(《仙覚抄》)を著し,《万葉集》の名義や成立を論じるとともに,811首の歌について注釈を加えた。彼の学風は合理優先,独断を極力避ける科学的態度を貫いているといってよい。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「仙覚」の意味・わかりやすい解説

仙覚
せんがく
(1203―?)

鎌倉時代の万葉学者。常陸(ひたち)国(茨城県)に生まれ、関東に住む。1272年(文永9)に70歳で生存していた。天台宗の僧であったらしい。13歳で『万葉集』の研究に志し、中世の万葉研究を大成した。おもな業績は次の4点に要約される。(1)校訂本の作成。(2)前記(1)によって従来の無訓歌152首を抄出し訓点(新点)を加えた。ここで『万葉集』の歌はすべて訓がつけられた。(3)『万葉集註釈(ちゅうしゃく)』10巻(仙覚抄とも)を撰(せん)し800首余りを注釈した。(4)書名、時代、撰者用字などの考証的研究((3)の巻第一および仙覚奏覧状)。その研究は平安時代以来の基礎的な面を継承しつつも、文献を重んずる厳正な実証性に貫かれ、学問研究の名に値する画期的なものであり、近世契沖(けいちゅう)らに大きな影響を与えた。

[橋本達雄]

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朝日日本歴史人物事典 「仙覚」の解説

仙覚

没年:文永9以後?(1272)
生年:建仁3(1203)
鎌倉時代の僧,万葉学者,歌人。家系等不明であるが生国は常陸。天台宗。13歳より『万葉集』研究を志し,寛元4(1246)年将軍藤原頼経の命により,源親行のあとを受けて親行本など数本により『万葉集』を校訂し,さらに無点歌にいわゆる仙覚新点を加える。建長5(1253)年新点歌と『仙覚律師奏覧状』とが後嵯峨上皇に献上された。その後も諸本を博捜して校訂が続けられ,寛元本のほか,宗尊親王に献上された文永2年本や文永3年本などがある。文永6(1269)年武蔵国で『万葉集註釈』10巻を完成。仙覚の校訂・注釈は『万葉集』研究史上画期的な業績であり,江戸時代に契沖が現れるまでの最大の万葉学者であった。歌人としても『続古今集』以下に4首入集するほか,鎌倉歌壇で活躍,『新和歌集』『東撰和歌六帖』に入集。

(田渕句美子)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「仙覚」の解説

仙覚
せんがく

1203~?

鎌倉時代の万葉学者。天台宗僧。常陸国生れ。少年期から「万葉集」に親しみ,鎌倉での数次にわたる校勘(こうかん)をへて寛元本(1247)や文永本(1266)などの校訂本を作成。その間,1246年(寛元4)に古点・次点時代の無点歌152首に訓点を施した新点を試み,53年(建長5)には新点抄に奏状をそえた「仙覚律師奏覧状」を後嵯峨上皇に献上。69年(文永6)には武蔵国で「万葉集註釈」(「仙覚抄」)を完成。本文面では新点の案出および多くの証本を用いたこと,注釈面ではインドの音声学(悉曇(しったん)学)の知識を応用した用字法分析や音義学的語義分析,道理(論理),文証(文献)による釈義を試みた点に意義がある。「続古今集」以下に入集。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「仙覚」の解説

仙覚 せんがく

1203-? 鎌倉時代の僧,万葉学者。
建仁(けんにん)3年生まれ。権律師(ごんのりっし)。「万葉集」の研究と校訂をすすめ,それまで訓点のなかった152首に訓点をくわえた。建長5年その定本に奏状をそえて後嵯峨(ごさが)上皇に献上。のち「万葉集註釈(ちゅうしゃく)」をあらわした。文永9年(1272)までは存命。常陸(ひたち)(茨城県)出身。

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旺文社日本史事典 三訂版 「仙覚」の解説

仙覚
せんがく

1203〜74
鎌倉中期の天台宗の僧。万葉学者
常陸 (ひたち) (茨城県)の人。鎌倉新釈迦堂の僧。『万葉集』諸本を校合 (きようごう) し定本をつくり,前代の古点・次点についで新点を加え,万葉の訓釈に大きな基礎をすえた。その著を『万葉集註釈(仙覚抄)』といい,以後の万葉研究の先駆となる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「仙覚」の意味・わかりやすい解説

仙覚
せんがく

[生]建仁3(1203).常陸
[没]文永9(1272)以後
鎌倉時代の古典学者。天台宗の僧。俗姓未詳。『万葉集』を研究,まず諸本の校訂に努め,無点歌に新点を加えて後嵯峨天皇に奏上。また書写本を宗尊親王に奉った。さらに万葉注釈書の先駆をなす『万葉集註釈』 (1269) を完成。

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百科事典マイペディア 「仙覚」の意味・わかりやすい解説

仙覚【せんがく】

鎌倉中期の天台宗の僧。万葉学者。常陸(ひたち)の人。鎌倉などに住み,1272年には生存していたことが知られるが,没年は不明。《万葉集》の諸本を校合,全部の歌に訓をつけた。仙覚が初めて訓をつけたものを新点(しんてん)という。注釈にも業績をあげ,《万葉集註釈》(仙覚抄とも)20巻がある。

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