菅運吉(読み)すが・うんきち

朝日日本歴史人物事典 「菅運吉」の解説

菅運吉

没年:明治10.8.10(1877)
生年:文化14.3(1817)
幕末・明治初期の実業家。出羽国雄勝川井村(秋田県雄勝町)生まれ。父太右衛門が同村肝煎で近在の山守を兼務していた関係で,運吉は山林業に頭角を現した。父のあとを継いで肝煎となったが,のちに江戸に出て秋田屋と称して材木商を営んだ。秋田藩御用達だけでなく幕府や御三家の木材用達にも登用された。維新後の明治4(1871)年末,秋田に戻って旧秋田藩の木山方役所や土崎湊出入役所などの払い下げを受け,能代で木材業を営んだ。晩年には土崎湊の廻漕業などにも手を広げ,子の礼治に引き継がれた。<参考文献>能代木材産業史編集委員会編『能代木材産業史』

(渡辺英夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅運吉」の解説

菅運吉 すが-うんきち

1817-1877 幕末-明治時代の商人
文化14年3月生まれ。菅礼治の父。出羽(でわ)雄勝(おがち)郡(秋田県)川井村の肝煎(きもいり)。久保田藩(秋田県)の用達(ようたし)として江戸にでて秋田屋仁左衛門と名のり,材木業をいとなむ。幕府や御三家の用達もつとめ,その財力から幕末の紀文(紀伊国屋(きのくにや)文左衛門)とよばれた。明治10年8月10日死去。61歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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