朝日日本歴史人物事典 「菅野序遊(初代)」の解説
菅野序遊(初代)
生年:宝暦11(1761)
江戸中・後期,一中節中興の祖。江戸吉原の茶屋の生まれ。はじめ河東節の三味線方となり,3代目山彦新次郎を名乗る。寛政初年に5代目都一中の浄瑠璃を聞いて一中節に転向,菅野序遊を名乗る。5代目都一中と協力して「松襲」「羽衣」「廓の寿」「吉原八景」など40曲近い新曲を作り,「信田妻」「競牡丹」「小町少将」などの古典曲を復活させた。本業のほかに山田検校に箏の奥許を受け,染太夫について義太夫200段を学んだ(『一中譜史』)という。
(吉野雪子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報