改訂新版 世界大百科事典 「信田妻」の意味・わかりやすい解説
信田妻 (しのだづま)
信太妻とも書く。説経節または古浄瑠璃の作品。五説経(説経節の五つの代表作)の一つに数えられるが,説経節正本の所在不明。陰陽師安倍晴明の出生にまつわる話と,蘆屋道満(あしやどうまん)との術くらべの話からなる。命を助けられた狐が人に姿を変えて安倍保名と契り子を生む。その子は安倍の童子と名づけられる。ある日,その正体を子に見られた母は〈恋しくは尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉〉の歌を残して姿をかくす。悲しんだ父と子は信太の森に行き,母の狐から秘符と名玉とを与えられ,その験力で童子は陰陽師安倍晴明となり,後にその術で蘆屋道満を屈服させる。断片的だが安倍晴明にまつわる類似の説話は《簠簋袖裡(ほきしゆうり)伝》(室町末期写)や《簠簋抄》(1629)にみえ,狐と人との婚姻譚は《日本霊異記》をはじめ民譚のなかにも多い。狐は古くから田の神の使いと考えられ,狐と人との間に生まれた子は異常な能力を生むと考えられていたようだが,このような民譚と安倍晴明の出生が結びついたものと考えられている。晴明の童名の安倍の童子は,安倍野(現,大阪市内)に育った童子の意だが,童子とは大寺に隷属し力役雑役などに携わる寺奴で,彼らはまた下級陰陽師,唱門師として卜占・祈禱にも従事することがあった。安倍野の里は四天王寺と住吉神社との中間の地だが,この地に安倍野童子と称された下級陰陽師,唱門師の集落があったのではないかと想像されている。また安倍野の近くの信太森(現,和泉市内)の聖(ひじり)神社には,末社に葛の葉社があって,この付近には江戸時代末まで陰陽師村があり,暦などを配っていたが,これらの陰陽の徒が葛の葉社の由来譚としてこの物語を語り始めたものと考えられている。なお,信田妻の物語は,その後の浄瑠璃や歌舞伎の素材とされ,また長野県をはじめ各地で昔話や伝説としても伝えられている。
執筆者:山本 吉左右
信田妻物
浄瑠璃・歌舞伎の一系統。信田妻の伝承は,近世初期には説経節《信田妻》,暦占の注釈書《簠簋抄》,仮名草子《安倍晴明物語》などを通して流布され,次いで元禄期(1688-1704)前後にはそれらに基づく芝居が次々と作られた。その主要なものとしては,浄瑠璃では古浄瑠璃の《信田妻釣狐付安倍晴明出生》(1674),《信田妻》(1678)や紀海音作の《信田森女占(しのだのもりおんなうらかた)》(1713)などがあり,歌舞伎には《信田妻》(1699),《信田妻後日》(同),《けいせい信太妻》(1706)などがある。なお,その女主人公の名前が葛の葉として定着するようになるのは,上の歌舞伎諸作からのことらしい。その後それらを集大成した竹田出雲作の浄瑠璃《蘆屋道満大内鑑》(1734)が現れて本系統を代表する作品となり,また,その眼目をなす葛の葉子別れの愁嘆場は瞽女唄(ごぜうた)の主要演目ともなっている。
執筆者:原 道生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報