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マクドナルド マクドナルド MacDonald, Caroline

27件 の用語解説(マクドナルドの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マクドナルド
マクドナルド
MacDonald, Caroline

[生]1874
[没]1931
日本 YMCA初代総幹事。カナダに生れ,世界 YMCAの幹事として 1904年に来日して,日本における YMCA創設に尽力し,その初代総幹事となる (1904) 。津田英学塾で教育にあたり,帰国後 20年に再来日して親隣館の創設と免囚の保護に貢献した。

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マクドナルド
マクドナルド
Macdonald, Flora

[生]1722. ヘブリディーズ諸島,サウスユースト
[没]1790.3.5. スカイ島
スコットランドジャコバイトの烈婦。 1745年スコットランドからイングランドに侵入した小王位僭称者 C.E.スチュアート (ジェームズ2世の孫) がカロデンの戦い (1746) で敗れたのち,フランスへの逃亡を助け,彼女自身は一時ロンドン塔に投獄された。

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マクドナルド
マクドナルド
Macdonald, George

[生]1824.12.10. アバディーン,ハントリー
[没]1905.9.18. サリー,アシュテッド
イギリスの児童文学者,詩人。スコットランドの出身。アバディーン大学で学び会衆派の牧師となり,キリスト教的寓意詩や童話を発表。主著,「軽いお姫さま」 The Light Princess (1867) を含む『北風のうしろの国』 At the Back of the North Wind (70) ,『お姫さまと山の鬼たち』 The Princess and the Goblin (71) ,『お姫さまとカーディ少年』 The Princess and Curdie (82) など。

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マクドナルド
マクドナルド
MacDonald, James Ramsay

[生]1866.10.12. スコットランド,ロッシーマウス
[没]1937.11.9. 大西洋上
イギリスの政治家。最初の労働党内閣の首相。家政婦の私生子として生れ,正規の教育は 12歳で終えた。 1885年イングランドへ移り,事務職についた。この頃より社会主義の団体と関係をもち,自由主義的な立場から社会主義運動に身を投じ,88年急進的政治家 T.ラフの私設秘書となり,J.ハーディとも知合いとなった。

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マクドナルド
マクドナルド
Macdonald, John Alexander

[生]1815.1.11. グラスゴー
[没]1891.6.6. オタワ
カナダの政治家。初代首相 (在任 1867~73,78~91) 。近代カナダの基礎を確立したことで知られる。スコットランドに生れ,1820年アッパーカナダキングストンに移住。 36年に弁護士の資格を得た。

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マクドナルド
マクドナルド
MacDonald, Ranald

[生]1824.2.3. オレゴン,フォートジョージ
[没]1894.8.5. ワシントン,フェリーカウンティ
北アメリカ先住民族インディアンの血をひいたアメリカの探検家。日本渡航を企てて 1845年捕鯨船に乗組み,48年日本近海でボートに乗って北海道利尻島付近に上陸したが,捕えられて長崎に移送され,監禁中オランダ通詞 14人に英語を教えた。

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マクドナルド
マクドナルド
McDonald, William Joseph

[生]1904.6.17. アイルランドキルケニー
[没]1989.1.7. サンフランシスコ
アメリカの哲学者,カトリック聖職者。ワシントン D.C.アメリカ・カトリック大学で哲学教授 (1940~67) ,副学長 (1954~57) ,学長 (1957~67) を務め,1960~63年には国際カトリック大学連盟総裁に就任した。

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マクドナルド
マクドナルド
McDonald's Corporation

ハンバーガーを主力商品に展開する世界最大のファーストフードレストランチェーン。ハンバーガー代名詞的な存在。マック (モーリス) ,リック (リチャード) のマクドナルド兄弟が 1940年にアメリカのカリフォルニア州に開いたハンバーガーショップが前身。

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知恵蔵2015の解説

マクドナルド

米McDonald's社のフランチャイズにより、日本国内でハンバーガーショップ「マクドナルド」を運営する企業及び、その傘下のハンバーガーショップの名称。「マック」や「マクド」の愛称で、若者や子どもたちを中心に客層を広げてきた。日本のハンバーガー市場で圧倒的シェアを占めるとともに、ファストフード業界においても代表的存在となっている。
日本マクドナルドは、輸入雑貨商の藤田田(でん)社長らによって1971年に創業。東京銀座の1号店開店当初から、巧みな経営手腕で事業を拡大し、全国に3265店舗(2013年6月末現在)を数えるに至っている。2000年代初頭には、積極的な安売り戦略で売り上げを伸ばし、デフレ時代の勝ち組と称賛されジャスダック市場に株式を上場した。その後の景気低迷で更なる安売りを推し進めたが、奏功せず創業以来初の赤字に転落。03年には藤田氏が会長を退任し、米McDonald's社の配下で事業立て直しが進められた。以降、牛海綿状脳症(BSE)の影響や残業代不払い名ばかり店長」などの過酷な労働環境などから顧客の信頼を失い、メニュー見直しや高額商品の投入などで一進一退を繰り返した。価格戦略の迷走もあって、現在は業績が低迷している。13年8月にはカナダ出身の女性サラ・カサノバ氏が新社長に就任し、商品価格を商圏別にきめ細かく設定することなどで売り上げ拡大を目指している。

(金谷俊秀  ライター / 2013年)

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デジタル大辞泉の解説

マクドナルド(Claude Maxwell Macdonald)

[1852~1915]英国の外交官。1896年駐清(中国)公使となり、義和団事件で活躍、日本の出兵を勧めた。のち駐日大使。

マクドナルド(James Ramsay MacDonald)

[1866~1937]英国の政治家。1924年、最初の労働党内閣を組閣。1929年再度首相となったが世界恐慌に直面し、財政政策に党の支持を得られず辞職。1931年、保守党自由党と連立で挙国一致内閣をつくったため、党から除名された。

マクドナルド(Ross Macdonald)

[1915~1983]米国の推理小説家。本名はケネス=ミラー(Kenneth Millar)。ハメットチャンドラーハードボイルドを継承する簡潔で力強い文体で、社会の闇や人間の心理を巧みに描いた。私立探偵リュー=アーチャー主人公とする一連の作品や「青いジャングル」などで知られる。妻のマーガレット=ミラー(Margaret Millar)も推理小説家。

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百科事典マイペディアの解説

マクドナルド

英国の政治家。1900年労働代表委員会書記となり,労働党の基盤形成に尽力。1906年下院議員となり労働代表委員会が改称した労働党の党首となり,第1次大戦には終始反対して党首を辞任。
→関連項目挙国一致内閣スノードン独立労働党

マクドナルド

米国の推理小説作家。《人の死に行く道》《縞模様の霊柩車》など,私立探偵ルー・アーチャー物で有名。社会病理学的洞察の鋭い正統派ハードボイルドの書き手。夫人のマーガレット・ミラーもスリラー作家。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

マクドナルド Macdonald, Sir Claude Maxwell

1852-1915 イギリスの外交官。
1852年6月12日生まれ。軍人から外交官に転じ,1896年駐清(しん)公使となる。明治33年(1900)駐日イギリス公使として来日。38年公使館大使館への昇格にともない初代駐日イギリス大使となる。大正元年引退して帰国。1915年9月10日死去。63歳。

マクドナルド Macdonald, Davidson

1836-1905 カナダの宣教師,医師。
トロント大で医学をまなび,カナダ-メソジスト派教会から派遣され,明治6年(1873)来日。7年静岡県の私塾賤機(しずはた)舎の英語教師,9年静岡病院顧問となる。一時帰国ののち,東京築地(つきじ)で医療と伝道にあたった。37年帰国。1905年1月3日死去。69歳。オンタリオ州出身。

マクドナルド MacDonald, Ranald

1824-1894 アメリカの冒険家,英語教師。
1824年2月3日生まれ。嘉永(かえい)元年(1848)遭難をよそおい蝦夷地の利尻(りしり)島に上陸したが,捕らえられて長崎におくられる。アメリカ軍艦にひきわたされるまでの約半年間,森山多吉郎らオランダ通詞に英語をおしえた(日本最初の英語教師)。1894年8月5日死去。70歳。オレゴン州出身。著作に「日本回想記」。

マクドナルド Macdonald, A.Caroline

1874-1931 カナダの教育家。
1874年10月15日生まれ。明治37年(1904)YWCA(キリスト教女子青年会)ロンドン本部から派遣され来日。38年日本YWCAを創設して初代総幹事となる。女子英学塾(現津田塾大)教授をつとめた。大正4年総幹事をやめ,免囚保護事業に専念,のち社会福祉施設の親隣館を創立。病気で帰国し,1931年7月18日死去。56歳。オンタリオ州出身。トロント大卒。

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朝日日本歴史人物事典の解説

マクドナルド

没年:1905.1.3(1905.1.3)
生年:1836
明治期に来日した宣教医。カナダ・オンタリオ州生まれ。1864年ウェスレアン・メソジスト教会で按手礼を受ける。カナダで伝道・牧会の傍らトロント大学で医学を学ぶ。明治6(1873)年宣教医師としてG.コクランと共に来日。翌年静岡の賤機舎に教師として赴任。静岡バンドの基礎を築く。同9年県立静岡病院の医師に招かれる。同11年に一時帰国するまでに129人に洗礼を授けた。同12年再来日し東京・築地明石町に住み,築地教会(銀座教会)担当の傍ら診療所を開設。伝道と医療に大きな足跡を残した。同32年引退後も日本にとどまって医療に従事した。同37年帰国。<参考文献>太田愛人『明治キリスト教の流域』

(篠崎恭久)

マクドナルド

没年:1894.8.5(1894.8.5)
生年:1824.2.3
幕末来日のアメリカ人水夫,日本人オランダ通詞の英語教師。オレゴン州フォート・ジョージ(アストリア)生まれ。父はスコットランド生まれのアーチボルド・マクドナルド,母は先住アメリカ人チヌク族の女性。母の死後ドイツ系スイス人である父の後妻に養育された。アメリカの捕鯨船に乗り組み,嘉永1(1848)年,満24歳のとき,難船を装って当時鎖国中の日本の利尻島に上陸した。囚われの身のまま長崎に7カ月滞在後,アメリカ船に引き渡されたが,その間14名のオランダ通詞たちにはじめて生きた英語を教えた。嘉永6年ペリー来航時に通訳を勤めた森山多吉郎はそのひとり。晩年は米国北西部に住み,ワシントン州トロドで没した。<参考文献>E.E.ダイ『英学の祖―オレゴンのマクドナルドの生涯』

(加納孝代)

マクドナルド

没年:1915.9.10(1915.9.10)
生年:1852.6.12
イギリスの軍人,外交官。初代駐日大使。スコットランドの陸軍軍人の家に生まれ,陸軍士官学校に学ぶ。1872年高地連隊入隊。1882年少佐へ昇進しエジプト出兵に従軍。以来カイロ駐在総領事兼エジプト政府顧問付陸軍武官(1883~87),ザンジバル駐在官兼総領事(1887~88),オイルリヴァズ保護領長官兼総領事(1891~95)を歴任し,その間スーダン遠征や西アフリカ分割交渉に参加。1896年陸軍を退役して駐清特命全権公使となり,日清戦争後の中国における列強の利権獲得闘争,勢力圏設定に手腕を振るい,九竜,威海衛租借など幾多の成果を収める。1900年義和団の北京各国公使館包囲に対し選ばれて防衛の指揮を取り,連合軍による救援まで持ち堪える。同年10月駐日特命全権公使に転じ,翌年本省と協議のため一時帰国,日英同盟交渉への地ならしをする。日露戦争後の明治38(1905)年12月在日イギリス公使館の大使館昇格に伴い初代駐日特命全権大使。第3回同盟協約調印(1911)の翌年退官するまで11年余にわたり日英の協調関係を支えた。

(廣瀬靖子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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デジタル大辞泉プラスの解説

マクドナルド

日本マクドナルド株式会社が展開するハンバーガーショップのチェーン。アメリカ発祥。1971年、日本の1号店が東京・銀座にオープン

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世界大百科事典 第2版の解説

マクドナルド【George MacDonald】

1824‐1905
イギリス,スコットランドの詩人,小説家。宗教的・超俗的傾向の詩を特徴とする。処女作《内と外》(1855),宗教詩《老人日記》(1880)があるが,なかでも信仰の悩みをうたう《深淵より》や《この幼き世界》の短詩で名高い。また一連の思想小説《デービッド・エルギンブロッド》(1863),《マルコム》(1875)で,スコットランドの生活を描くとともに反カルバン的神学問題を扱っている。ほかに《北風の背に乗って》(1871)や《王女と鬼》(1872)などのメルヘンもある。

マクドナルド【John Alexander Macdonald】

1815‐91
カナダの政治家。〈建国の父祖〉の一人で首相(在職1867‐73,1878‐91)を務める。保守党に所属。スコットランドに生まれ,5歳のとき両親とともにアッパー・カナダへ移住,キングストンで青少年時代を過ごした。弁護士の資格を得たのち1844年連合カナダ植民地立法議会に選出されて政界へ入り,47年から48年にかけて歳入徴収長官として入閣した。50年代,連合カナダ植民地政界は混沌を極めたが,彼はフランス系カナダの指導者G.E.カルティエという盟友を得て,イギリス領北アメリカ植民地の統合=コンフェデレーションの構想を具体化した。

マクドナルド【James Ramsay MacDonald】

1866‐1937
イギリス最初の労働党政府首相。スコットランドのハイランドの農場の召使アン・ラムゼーと作男ジョン・マクドナルドとの間に生まれた。両親は結婚せず,母親に育てられ,教区学校に学ぶ。職を求めてブリストルに移り,社会民主連合支部に参加。ロンドンで自由党議員秘書,〈新生活フェローシップ〉書記長を務め,独立労働党執行部に加わる。1900年,労働代表委員会書記長となり,ひそかに自由党と選挙協定を締結し,06年の労働党躍進の基礎を固めた。

マクドナルド【Ranald MacDonald】

1824‐94
ペリー来航の5年前,1848年(嘉永1)にアメリカ捕鯨船から単身で鎖国下の日本に上陸した冒険家。父はスコットランド出身のハドソン湾会社主任交易人,母はチヌーク族長コムコムリの娘。北海道利尻島に上陸し,捕らえられて宗谷勤番所,松前を経て長崎に護送され西山郷大悲庵の座敷牢に監禁された。翌49年4月アメリカ軍艦プレブル号に引き取られるまでの6ヵ月間,森山多吉郎(栄之助)ら14名の通詞に英語を教え〈日本最初の英語教師〉といわれる。

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大辞林 第三版の解説

マクドナルド【Macdonald; MacDonald】

〔Claude Maxwell Macdonald〕 (1852~1915) イギリスの外交官。公使として北京に赴任、義和団事件で列国義勇軍総司令官。のち初代駐日大使となり日英協調に努力。
〔James Ramsay MacDonald〕 (1866~1937) イギリスの政治家。1924年最初の労働党内閣を組織。31年労働党を離れ、保守党・自由党と結び挙国内閣を組織した。
〔John Dann MacDonald〕 (1916~1986) アメリカの推理小説作家。 SF ・怪奇幻想小説も手がける。タイトルに色を表す単語を使うことで知られる。六つのペンネームをもつ。
〔Ross Macdonald〕 (1915~1983) アメリカの推理小説作家。リュー=アーチャーを主人公とするシリーズで有名。作「動く標的」「さむけ」「ドルの向こう側」など。

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世界大百科事典内のマクドナルドの言及

【児童文学】より

…少年小説もまたT.ヒューズの《トム・ブラウンの学校生活》(1857),R.バランタインの《サンゴ島》(1857),ウィーダOuidaの《フランダースの犬》(1872),シューエルA.Sewellの《黒馬物語》(1877)のあとをうけて,R.L.スティーブンソンの《宝島》(1883)で完成した。架空世界を取り扱った物語は,J.インジェローの《妖精モプサ》(1869),G.マクドナルドの《北風のうしろの国》(1871),R.キップリングの《ジャングル・ブック》(1894),E.ネズビットの《砂の妖精》(1902),K.グレアムの《たのしい川べ》(1908),J.M.バリーの《ピーター・パンとウェンディ(ピーター・パン)》(1911),W.デ・ラ・メアの《3びきのサル王子たち》(1910)にうけつがれ,ファージョンE.Farjeon《リンゴ畑のマーティン・ピピン》(1921)は空想と現実の美しい織物を織り上げた。さらにA.A.ミルンの《クマのプーさん》(1926)が新領域をひらき,J.R.R.トールキンの《ホビットの冒険》(1937),《指輪物語》(1954‐55)は妖精物語を大成する。…

【労働党】より

…これは,自由主義から社会主義へ組合を改宗させるため独立労働党を中心に推進された運動の直接の成果だが,他方,不熟練労働者の〈新組合運動〉に挑戦する雇主側の攻勢および法的制裁に対し組合のとった自衛措置でもあり,階級闘争の産物だった。書記長J.R.マクドナルドと自由党指導部との間で締結された秘密選挙協定が効を奏し,06年の総選挙では,自由貿易圧勝の波にのり29人の議員を当選させ,〈労働党〉と改称した。しばらくは〈リベラリズムの侍女〉の地位に甘んじ,自由党の社会改良政策に追従した。…

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