菊池 恭三
キクチ キョウゾウ
- 肩書
- 貴院議員(勅選),大日本紡績社長
- 生年月日
- 安政6年10月15日(1859年)
- 出生地
- 伊予国(愛媛県)
- 学歴
- 工部大学校(現・東大工学部)〔明治18年〕卒
- 経歴
- 海軍横須賀造船所、大蔵省大阪造幣局勤務を経て、明治20年平野紡績に入社。英・仏で機械紡績技術を修得して、21年帰国し、同社支配人兼工務部長となる。22年創立の尼ケ崎紡績の支配人を兼ね、さらに23年創立の摂津紡績の設立を担当、この三社の支配人兼工務部長となる。34年尼ケ崎紡績社長に就任。翌年平野紡績を摂津紡績に合併、大正4年摂津紡績の社長を兼任、7年には尼紡と摂津紡を合併して大日本紡績(現・ユニチカ)を発足、昭和11年まで社長、続いて15年まで会長を務めた。その間、大正15年勅選貴族院議員、日本レーヨン社長、昭和2年共同信託社長などを歴任した。
- 没年月日
- 昭和17年12月28日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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菊池 恭三
キクチ キョウゾウ
明治〜昭和期の実業家 大日本紡績社長;貴院議員(勅選)。
- 生年
- 安政6年10月15日(1859年)
- 没年
- 昭和17(1942)年12月28日
- 出生地
- 伊予国(愛媛県)
- 学歴〔年〕
- 工部大学校(現・東大工学部)〔明治18年〕卒
- 経歴
- 海軍横須賀造船所、大蔵省大阪造幣局勤務を経て、明治20年平野紡績に入社。英・仏で機械紡績技術を修得して、21年帰国し、同社支配人兼工務部長となる。22年創立の尼ケ崎紡績の支配人を兼ね、さらに23年創立の摂津紡績の設立を担当、この三社の支配人兼工務部長となる。34年尼ケ崎紡績社長に就任。翌年平野紡績を摂津紡績に合併、大正4年摂津紡績の社長を兼任、7年には尼紡と摂津紡を合併して大日本紡績(現・ユニチカ)を発足、昭和11年まで社長、続いて15年まで会長を務めた。その間、大正15年勅選貴族院議員、日本レーヨン社長、昭和2年共同信託社長などを歴任した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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菊池恭三
きくちきょうぞう
(1859―1942)
実業家。伊予国(愛媛県)川名津(かわなづ)の郷士・泰成の三男。大阪英語学校を経て1885年(明治18)工部大学校(東大工学部)機械工学科を卒業。横須賀造船所、大阪造幣局に勤務後、1887年に平野紡績に入社し、イギリス・マンチェスターで紡績技術を修得。帰国後、平野紡績をはじめとして尼崎(あまがさき)紡績、摂津紡績の支配人兼工務長として活躍。1901年(明治34)に尼崎紡績社長に就任。以後、摂津紡績、日本絹毛紡績、日本レイヨンの社長を務め、この間、大日本紡績連合会委員長にも推挙された。金融界においては、三十四銀行(後の三和銀行、現、三菱(みつびし)UFJ銀行)頭取(1924年就任)、共同信託(後の三和信託、現、三菱UFJ信託銀行)会長(1927年就任)を歴任。1926年(大正15)には貴族院議員に勅選された。
[西村はつ 2018年8月21日]
『新田直蔵編著『菊池恭三翁伝』(1948・菊池恭三翁伝記編纂事務所/複製・1998・ゆまに書房)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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菊池恭三 きくち-きょうぞう
1859-1942 明治-昭和時代前期の経営者。
安政6年10月15日生まれ。田中泰董(やすただ)の兄。平野紡績,尼崎紡績,摂津紡績の支配人兼工務長をへて明治34年尼崎紡績社長,大正4年摂津紡績社長。7年両社を合併して大日本紡績(現ユニチカ)とし社長,昭和11年会長。貴族院議員。昭和17年12月28日死去。84歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。工部大学校卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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菊池 恭三 (きくち きょうぞう)
生年月日:1859年10月15日
明治時代-昭和時代の実業家。大日本紡績社長
1942年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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