華光寺(読み)けこうじ

日本歴史地名大系 「華光寺」の解説

華光寺
けこうじ

[現在地名]郷ノ浦町東触

深田ふかだにある。如意山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。鎌倉末期壱岐を勢力下に置いた波多宗無の子の天祐が、正安三年(一三〇一)対馬に向かう途次壱岐で病死した亡母の華渓妙春の菩提を弔うために、肥前唐津からつ出身の覚叟大円を開山として華渓院を建立したのが前身と伝える。永正三年(一五〇六)波多盛が如意山華光寺に改めたという。天文一五年(一五四六)波多源五郎重の華光寺宛の書状(壱岐名勝図誌)に「一宗之本寺」とみえ、西国蜂起の報があるので寺家の什物などが盗難に遭わぬよう用心することを促している。

華光寺
けこうじ

[現在地名]上京区七番町

出水でみず通に南面する。蓮金山と号し、日蓮宗。本尊は十界曼荼羅。寺伝によれば、天正一一年(一五八三)日尭が羽柴(豊臣)秀吉の外護を受けて創建した。伏見ふしみ(現京都市伏見区)の一部を移したといい、本堂安置の毘沙門天像は秀吉が同城で奉祀していたもので、鞍馬くらま(現京都市左京区)の毘沙門天と同木同作と伝える。梵鐘は丹州巌辺寺のもので、正応元年(一二八八)一〇月の鋳造である(京都古銘聚記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報