20世紀日本人名事典 「萩原吉太郎」の解説
萩原 吉太郎
ハギワラ キチタロウ
- 生年
- 明治35(1902)年12月25日
- 没年
- 平成13(2001)年8月8日
- 出生地
- 埼玉県蕨市
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾大学経済学部〔大正15年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 藍綬褒章,勲一等瑞宝章〔昭和48年〕
- 経歴
- 大正15年三井合名に入社。昭和15年北海道炭砿汽船(北炭)に転じ、30年社長に就任。42年会長に退くが、44年社長に復帰、夕張新鉱開発を推進した。児玉誉士夫との親交を通じ、鳩山一郎、三木武吉ら政界に人脈が広く、“政商”とも呼ばれ、長年にわたり“北炭の顔”として君臨したが、56年死者93人を出した北炭夕張新鉱ガス突出事故の責任をとって会長を最後に退任、同鉱は57年閉山。平成元年までに道内すべての炭鉱を閉山し、7年には会社更生法を申請、事実上倒産した。一方、北海道不動産(現・三井観光開発)会長、昭和59年相談役を務めたほか、札幌テレビを設立し、社長、のち会長。北海道の石炭産業や観光、放送業界の振興に尽力した。この間、36年日本相撲協会運営審議会委員を経て、平成2年会長。著書に「一財界人の書き留め置き候」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報