日本歴史地名大系 「萱野保」の解説
萱野保
かるがのほ
苅野・軽賀野とも記し、村ともよばれた。
応安五年(一三七二)七月、祇園社の権別当らは上洛した富樫介昌家に「萱野村事」を依頼している。同月二六日、祇園社は当地の百姓へ年貢納入を督促しているが、一〇月二九日には前執行顕詮が「富樫若党」岡入道と「萱野公田一丁九反」について談合した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
苅野・軽賀野とも記し、村ともよばれた。
応安五年(一三七二)七月、祇園社の権別当らは上洛した富樫介昌家に「萱野村事」を依頼している。同月二六日、祇園社は当地の百姓へ年貢納入を督促しているが、一〇月二九日には前執行顕詮が「富樫若党」岡入道と「萱野公田一丁九反」について談合した。
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