落合寅市(読み)オチアイ トライチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「落合寅市」の解説

落合 寅市
オチアイ トライチ


肩書
秩父困民党指導者

旧名・旧姓
旧姓=黒沢

生年月日
嘉永3年9月17日(1850年)

出生地
武蔵秩父郡般若村(埼玉県)

経歴
農業、炭焼に従事。一方、秩父困民党の指導者として活躍。明治17年大井憲太郎の秩父来訪を機に自由党入党郡役所へ負債延納を願い出たが入れられず、同年10月困民党大隊副長として蜂起(秩父事件)したが失敗、東京を経て、愛媛県別子銅山潜伏。その間18年重懲役10年の判決。同年大井らの朝鮮内政改革クーデター(大阪事件)に加わり、資金集めの強盗を企て、門司で逮捕された。22年憲法発布の大赦出獄以後、勤皇尊皇立憲志士を自称した。

没年月日
昭和11年6月26日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「落合寅市」の解説

落合寅市

没年:昭和11.6.26(1936)
生年:嘉永3.9.17(1850.10.22)
明治期の自由民権運動家。武蔵国秩父郡(埼玉県)般若村に生まれる。秩父困民党に加わり,明治17(1884)年秩父事件では大隊副長を務めたが,敗走して,四国に潜伏。のち大井憲太郎らの大阪事件(1885)に加わり,18年11月門司で逮捕され,重懲役10年に処せられた。特赦で出獄したのちキリスト教に帰依して救世軍に入った。<参考文献>見田宗介編『自由と民権』(『明治の群像』5巻)

(寺崎修)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「落合寅市」の解説

落合寅市 おちあい-とらいち

1850-1936 明治時代の自由民権運動家。
嘉永(かえい)3年9月17日生まれ。明治17年秩父困民党の蜂起(ほうき)に参加。四国の別子銅山にかくれ,翌年大井憲太郎らの大阪事件にかかわり逮捕された。昭和11年6月26日死去。87歳。武蔵(むさし)秩父郡(埼玉県)出身。本姓は黒沢。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「落合寅市」の解説

落合 寅市 (おちあい とらいち)

生年月日:1850年9月17日
明治時代の自由民権運動家
1936年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android