葛原妙子(読み)クズハラ タエコ

20世紀日本人名事典 「葛原妙子」の解説

葛原 妙子
クズハラ タエコ

昭和期の歌人,随筆家



生年
明治40(1907)年2月5日

没年
昭和60(1985)年9月2日

出生地
東京・大塚

旧姓(旧名)
山村

学歴〔年〕
東京府立第一高女(現・白鷗高)卒

主な受賞名〔年〕
日本歌人クラブ推薦歌集(第10回)〔昭和39年〕「葡萄木立」,迢空賞(第5回)〔昭和46年〕「朱霊」

経歴
昭和14年「潮音」に入り太田水穂四賀光子師事。24年「女人短歌会」創立、33年「灰皿」参加。56年「潮音」退社季刊「をがたま」を創刊し、58年まで主宰。新写実の世界を開き、女流歌人の代表者の一人として、戦後の歌壇に大きな影響を与えた。歌集に「橙黄」「飛行」「原牛」「葡萄木立」「朱霊」「葛原妙子歌集」、随筆集「孤宴」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「葛原妙子」の意味・わかりやすい解説

葛原妙子
くずはらたえこ
(1907―1985)

歌人。東京生まれ。府立第一高等女学校卒業。外科医の葛原輝と結婚。1939年(昭和14)『潮音』入社、太田水穂(みずほ)に師事。『橙黄(とうおう)』(1950)、『原牛』(1959)、『葡萄木立(ぶどうこだち)』(1963)、『朱霊(しゅれい)』(1970。第5回迢空(ちょうくう)賞受賞)、『鷹(たか)の井戸』(1977)などの歌集がある。鋭い直観力によって、日常のうちに潜む異常世界を透視し、一瞬のうちに存在の不安とかなしみをとらえる変幻自在の作風により「現代の魔女」とよばれる。81年雑誌『をがたま』を創刊。

菱川善夫

 他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水

『『葛原妙子歌集』(1974・三一書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「葛原妙子」の解説

葛原妙子 くずはら-たえこ

1907-1985 昭和時代の歌人。
明治40年2月5日生まれ。外科医の葛原輝と結婚。昭和14年「潮音」に入会,太田水穂,四賀光子に師事。前衛的な作風で注目され,46年「朱霊(しゅれい)」で迢空(ちょうくう)賞。56年「をがたま」を創刊した。昭和60年9月2日死去。78歳。東京出身。東京府立第一高女卒。旧姓は山村。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「葛原妙子」の解説

葛原 妙子 (くずはら たえこ)

生年月日:1907年2月5日
昭和時代の歌人;随筆家
1985年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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