蓮昌寺
れんじようじ
山号は仏住山。江戸時代には備前日蓮宗三大寺院の一つとされ、本寺は妙覚寺(現京都市上京区)であった。本尊勧請様式は曼荼羅。開山は龍華樹院日像、二世は大覚とされる。「備陽国誌」は寺僧の説として正慶年中(一三三二―三四)に松田将監元賢の創建で、元賢の法名によって蓮昌寺と号したと記すが、元賢の法名は浄栄日等大居士といい、また活躍した時代も天文―永禄(一五三二―七〇)頃にかかり、ここに引用する寺僧の説は信じがたい。かわって元禄版の金川道林寺(現御津郡御津町)の縁起をみると、当寺開創について次のように記す。
蓮昌寺
れんしようじ
妙銀山と号し、日蓮宗。本尊は一塔両尊四士で、日蓮像も安置する。池上本門寺の旧末寺。大永年間(一五二一―二八)の創立と伝え、実相院日清を開山、小田原城主北条氏直の家臣二階堂右衛門督資朝を開基とする。元禄二年(一六八九)の由緒書上(寺蔵)によれば、小田原城落城後、旧領の文蔵村に住んでいた二階堂資朝はその後招かれて駒場村の本丸というところに移り住んだが、そこに実相庵という房跡があり、その境内墓所に二基の石塔があった。一つには「天文七年十二月九日」「妙蓮」、他には「弘治三年四月九日」「妙信」と記されていたので、資朝はこれを古跡の房跡として再興し妙銀山蓮昌寺と改めたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 