5月5日に,鹿の若角や薬草を摘んだ日本古代の習俗。《日本書紀》推古19年5月5日条(西暦611年6月20日)にみえるのが初見。この日は宇陀野(うだの)(奈良県宇陀市の旧大宇陀町一帯)に薬猟を行っている。従った諸臣は,髻華(うず)をつけた冠や冠色に従った服を着用しており,宮廷をあげての行事であった。翌年には羽田(奈良県高市郡高取町羽内(ほうち)付近),668年(天智7)には蒲生野(がもうの)(滋賀県近江八幡市から東近江市の旧八日市市にかけての一帯)で薬猟が行われている。中国では《荆楚歳時記》によると,6世紀中葉ころ,揚子江中流域で,5月5日の端午の節句(夏至に近い)に,毒気を避けるため,香りの高いショウブやヨモギ,種々の薬草を摘む習俗があった。日本古代の薬猟は,百済を経由して伝えられたこの古代中国の民間習俗と,高句麗の宮廷で3月3日に行われていた鹿狩りの風習が併せて取り入れられ,推古朝に宮廷行事として成立したらしい。奈良時代には,松林苑などで5月5日に騎射が行われている。平安時代には,天皇が武徳殿に御し馬射を観た記事が散見するほか,薬玉を柱に結びつけたり,内外文武官人がそれを臂(ひじ)にかける習俗があった。薬猟の形骸化したものとみてよいだろう。
執筆者:和田 萃
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
… だが,たび重なる禁令の発布は,まず貴族階級や都市民の間に獣肉食一般を罪悪視する感覚を醸成し,やがて日本人の多くが肉食を穢(けがれ)として,その忌避に傾いていったようである。そして,元来は薬草採取などを意味した薬猟(くすりがり)の語が野獣の捕獲の意にも拡大され,獣肉の食用を薬食(くすりぐい)とも呼んで,それに免罪符的な役割をもたせるようにもなった。《今昔物語集》などにはしばしば獣肉を煮炊きするにおいを〈くさい〉と表現しており,それは肉食忌避から進んで肉食嫌悪が拡大したことの証左と思われるが,そうした中でも《文徳実録》に見える藤原長良(ふじわらのながら)などのような肉食愛好者も,当然ながらたえず存在していた。…
※「薬狩り」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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