コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

安和の変 あんなのへん

6件 の用語解説(安和の変の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

安和の変
あんなのへん

安和2 (969) 年,冷泉天皇の宮廷に起きた政変。この結果,源高明が失脚して,藤原氏の独占的地位が確立した。当時,左大臣高明は,その女子が村上天皇に愛された皇子為平親王の妃となっていたので,その将来をおそれた藤原氏が,高明らが為平親王を擁立して,皇太子守平親王 (円融天皇) の廃立をたくらんでいると密告して高明とその一門を中央政界から追放した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

あんな‐の‐へん〔アンワ‐〕【安和の変】

安和2年(969)藤原氏が企てた他氏排斥の謀略事件。右大臣藤原師尹(ふじわらのもろただ)らが、源満仲(みなもとのみつなか)の密告を利用して左大臣源高明(みなもとのたかあきら)らに皇太子廃立の陰謀があるとして追放、藤原政権確立をはかった。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

安和の変【あんなのへん】

969年藤原氏が他氏を除くために企てた疑獄事件。為平(ためひら)親王を擁し,皇太子守平(もりひら)親王(円融天皇)の廃立を図っているとの源満仲(みつなか)の密告で,左大臣源高明(たかあきら)らが流罪に処せられた。
→関連項目西宮記摂関政治藤原実頼源満仲

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

あんなのへん【安和の変】

平安中期の政変。969年(安和2)3月,源満仲らの密告により,橘繁延,僧蓮茂らが謀反の疑いで逮捕・尋問されたが,罪は醍醐天皇の子で,儀式に精通し,朝廷に重きをなしていた左大臣源高明に及び,彼は大宰員外帥に左遷,繁延らは流罪,与党の源連は追捕され,また武士の藤原千晴(秀郷の子)らも捕らえられて流された。一方,右大臣藤原師尹が左大臣,大納言藤原在衡が右大臣に昇任した。この事件の真相については諸説あるが,結局は藤原氏の陰謀と考えられる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

あんなのへん【安和の変】

969年(安和2)藤原氏が、左大臣源高明・橘繁延らに皇太子廃立の企てありとして、左遷・流罪に処した政変。源満仲の密告に乗じた他氏排斥の謀略で、以後藤原氏の全盛期を迎える。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

安和の変
あんなのへん

969年(安和2)藤原氏が起こした他氏排斥の疑獄事件。右大臣藤原師尹(もろただ)が、左大臣源高明(たかあきら)(醍醐(だいご)天皇の皇子。賜姓源氏)を左遷し、その結果、自ら左大臣となる。事件の発端は同年3月、左馬助(さまのすけ)源満仲(みつなか)、前武蔵介(むさしのすけ)藤原善時(よしとき)らが、中務少輔(なかつかさのしょう)橘繁延(たちばなのしげのぶ)、源連(つらね)、前相模介(さがみのすけ)藤原千晴(ちはる)らを密告したことに始まる。朝廷は取調べの結果、源高明に関係深い事件とし高明を大宰権帥(だざいのごんのそつ)に貶(お)とし、繁延を土佐(高知県)、千晴を隠岐(おき)に配流した。これより先、源高明は藤原師輔(もろすけ)(師尹の兄)の娘を妻としており、妻の姉は村上天皇の中宮(ちゅうぐう)安子である。村上と安子の間には、憲平(のりひら)(冷泉(れいぜい)天皇)、為平(ためひら)、守平(もりひら)の3親王があり、村上天皇と安子は為平親王を憲平親王の即位後皇太子にしようと考えていた。しかるに、村上天皇退位のとき、藤原氏の実頼(さねより)、伊尹(これただ)、兼家(かねいえ)らは、為平親王が皇太子からいずれ即位して源氏の繁栄することを恐れ、為平親王が源高明の娘婿であることを理由にこれを排除、守平親王を皇太子とした。また、師輔の娘が高明の妻であることから、師輔の兄実頼、弟師尹は師輔に対しての反発も強く、師輔、安子の死により高明は支柱を失ったところ、高明が為平親王を擁立し東国に軍兵を起こし即位させようとしているなどのうわさがたち、源満仲は、初めは仲間であったのが心変わりして密告したという。朝廷内の騒動は、承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱のようであったと『日本紀略』に伝え、師尹が主謀者と『歴代編年集成』にある。高明は出家し、邸(やしき)は焼失した。源満仲の武士としての進出、藤原氏の他氏排斥最後の事件であると同時に、藤原氏同士、兄弟の争いの第一歩がこの事件である。[山中 裕]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の安和の変の言及

【蜻蛉日記】より

…この日記の名称はこれに由来する。中巻の3年間は兼家との夫婦仲の最も険悪だった時期であり,その間,左大臣源高明が配流された安和(あんな)の変への異常な関心や唐崎での祓,石山詣などが大きく記されるのだが,やがて作者は兼家の新しい愛人の出現に絶望し鳴滝の般若寺にこもる。このあたりから諦(あきら)めの境地に入ったらしく,鳴滝から連れ戻されたあと再び初瀬詣をしたことを記す中巻末には,沈静した人生観照・自然観照がみられるようになる。…

【平安時代】より

…また960年(天徳4)の内裏焼亡は,天皇に大きな挫折感を味わわせたばかりでなく,朝廷の矮小化の糸口を開くものとなった。 村上天皇についで即位した冷泉天皇は病弱のため,実頼が関白となって摂関制は再出発したが,師輔の後継者たちは,左大臣源高明を前途の障害になるとみて,969年(安和2)安和(あんな)の変を起こして高明を失脚させた。こうして他氏排斥に終止符をうった藤原氏は,やがて摂関の座をめぐって骨肉の争いを展開した。…

【源満仲】より

摂津源氏の祖。藤原摂関家に接近し,摂関政治確立の端緒となった969年(安和2)の安和(あんな)の変をしくんだといわれる。この変で平将門追討に功のあった藤原秀郷(ひでさと)の子千晴が連座し,摂関家と結んだ満仲は武人としての地位を確立するに至った。…

※「安和の変」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

安和の変の関連キーワード藤原実資扶桑集天禄愛宮延祚義照高岳相如橘繁延藤原千晴法蔵(2)

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone