日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原新也」の意味・わかりやすい解説
藤原新也
ふじわらしんや
(1944― )
写真家、著述家、画家。福岡県生まれ。1967年(昭和42)東京芸術大学美術学部油画専攻に入学。在学中の69年インドを旅行し、翌年その体験を写真と文章でつづった「インド発見百日旅行」を『アサヒグラフ』誌に発表。このインド体験は、画家志望だった藤原がその後13年にわたってインド、チベット、香港(ホンコン)、台湾、韓国といったアジア各地を遍歴し、写真と文章でつづった旅の記録を発表していくきっかけとなった。71年には「インド放浪」「続・インド放浪」を、73年には「印度行脚(あんぎゃ)」を発表。76年にはチベットへの放浪体験をまとめた「天寿国遍行」(1976)によって日本写真協会新人賞を受賞し、また翌年には東アジア遍歴を記録した「逍遥游記」(1977)等によって木村伊兵衛写真賞を受賞。気鋭の写真家、フォト・エッセイストとして注目された。
藤原が日本とアジア各地を幾度も往還するなかで浮かびあがらせてきたイメージは、それぞれの土地に固有の方法で自然と密接につながって生きている人々の姿である。荼毘(だび)に付され次第に灰になっていく遺体や野ざらしになったまま犬に喰われている屍(しかばね)といった、日本人にとっては衝撃的な情景を直視することによって人間の死について考察したインド放浪。チベット仏教に凝縮された宗教的空間を凝視することでその死生観をとらえたチベット行。そしてそれぞれの土地でいとなまれている日常の生活を淡々ととらえた東アジア遍歴。こうしてとらえられたそれぞれのイメージは、アジアの精神性を深く抉(えぐ)ったドキュメントであると同時に、自然とのつながりを失いつつあった高度経済成長期以降の日本の姿を浮き彫りにするものでもあった。80年藤原はそれまでのアジア遍歴の総決算として、1年あまりの時間をかけてアジア西端のイスタンブールから中近東、インド、チベット、東南アジア、中国、韓国を経て日本へといたる旅を敢行する。全アジアに共通する視座を獲得し日本を見つめ直そうと企図したこの旅は『全東洋街道』(1981。毎日芸術賞受賞)としてまとめられたが、結局、日本とアジアとの間に埋めがたい断絶をみた藤原は、以降、アジア的な視座から日本の歪みを照射する社会批評を手がけ、83年の『東京漂流』を皮切りに、本、雑誌、そして近年においてはインターネットなどさまざまなメディアを駆使しながら現代日本に対して警鐘を鳴らし続けいてる。
また、88年にはドローイング作品を主体とした「藤原新也ドローイング展――ノア」(みゆき画廊、東京)を開催し、画家としての活動も開始する。一方、東洋を見つめてきた視線を西洋に向けて、アメリカを7か月間旅し、日本社会の歪みの原型をアメリカに発見した『アメリカ』『アメリカン・ルーレット』(ともに1990)を発表した。また、『少年の港』(1992)、『鉄輪(かんなわ)』(2000)をはじめとする自伝的要素の強いフォト・エッセイや、アイルランドを題材に取った小説『ディングルの入江』(2001)を上梓するなど、多彩な活動を展開している。
[河野通孝]
『『藤原新也印度拾年』(1979・朝日新聞社)』▽『『メメント・モリ』(1983・情報センター出版局)』▽『『アメリカン・ルーレット』(1990・情報センター出版局)』▽『『少年の港』(1992・扶桑社)』▽『『全東洋写真』(1996・新潮社)』▽『『鉄輪』(2000・新潮社)』▽『『空から恥が降る』(2000・文芸春秋)』▽『『印度放浪』『西蔵放浪』『台湾・韓国・香港 逍遥游記』『東京漂流』(朝日文庫)』▽『『アメリカ』『ディングルの入江』『全東洋街道』『風のフリュート』(集英社文庫)』