藤川宿(読み)ふじかわしゆく

日本歴史地名大系 「藤川宿」の解説

藤川宿
ふじかわしゆく

[現在地名]岡崎市藤川町

東海道が三河高原を横断する御油(ごゆ)断層の谷間から平地への出入口にある。品川(しながわ)より三七番目の宿場町で、東隣は加宿の市場(いちば)村、北は岡(おか)村、西は蓑川(みのかわ)村より生田(しようだ)村に続き、古くから乙(おと)川の支流山綱(やまつな)川の通谷に沿う交通の要地である。

江戸初期より明治に至るまで岡崎藩領。慶長三年(一五九八)鳥山牛之助検地では村高三一〇石。東海道宿村大概帳によれば、宿内町並東西九町二〇間、天保一四年(一八四三)加宿市場村とあわせて宿内人別一千二一三人、うち男五四〇・女六七三、総家数三〇二、本陣一・脇本陣一・旅籠屋三六、うち大七・中一六・小一三、地子免許七千四八〇坪、問屋給米七石、継飛脚給米三二石余などとある。


藤川宿
ふじかわしゆく

[現在地名]伊吹町藤川

江戸時代の北国脇往還の宿場。宿場的機能は古く、俗に関(せき)の藤川(ふじかわ)ともよばれ、藤原定家のいわゆる藤川百首にも詠込まれている(→藤川村)。中山道関(せき)ヶ原(はら)宿(現岐阜県不破郡関ヶ原町)から分岐し、近江に入った最初の国境宿で、次は西の春照(すいじよう)宿に継立てる。江戸時代には本陣・問屋・旅籠・商家が置かれたが、大規模な宿ではなく、問屋を兼ねた本陣であったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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