20世紀日本人名事典 「藤沢清造」の解説 藤沢 清造フジサワ セイゾウ 大正期の小説家,劇作家,劇評家 生年明治22(1889)年10月28日 没年昭和7(1932)年1月29日 出生地石川県七尾市 学歴〔年〕小学校尋常科卒 経歴代書屋などに奉公し、18歳頃文学を志して上京。製綿工場に勤めた後、演芸画報社に入社。大正11年「根津権現裏」を刊行して文壇に登場。寡作と放埓のため、貧困のうちに生涯を終えた。平成13年「藤沢清造全集」(全5巻・別巻2 朝日書林)が刊行される。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤沢清造」の意味・わかりやすい解説 藤沢清造ふじさわせいぞう(1889―1932) 小説家。石川県生まれ。尋常小学校卒業。丁稚(でっち)生活を送ったのち、18歳ごろ上京し、『演芸画報』の記者となる。1922年(大正11)、友人の悲惨な死を描いた長編小説『根津権現裏(ねづごんげんうら)』を発表して文壇に登場。人間の醜悪、悲惨な面をもっぱら描いた藤沢の作品は、晩年になるにつれて無政府主義的傾向が強くなっていった。悪疾による精神障害から失踪(しっそう)を重ねたすえに、東京・芝公園内で凍死した。[大森澄雄]『大森澄雄著『藤沢清造』(『私小説作家研究』所収・1982・明治書院)』 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤沢清造」の解説 藤沢清造 ふじさわ-せいぞう 1889-1932 大正-昭和時代前期の小説家。明治22年10月28日生まれ。尋常小学校卒業後,種々の職業をへて上京,演芸画報社の記者となる。大正11年長編小説「根津権現(ごんげん)裏」を発表。精神疾患から失踪(しっそう)をくりかえし,昭和7年1月29日東京芝公園で凍死した。44歳。石川県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「藤沢清造」の解説 藤沢 清造 (ふじさわ せいぞう) 生年月日:1889年10月28日大正時代の小説家1932年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by