内科学 第10版 「虚血性心疾患の予防」の解説
虚血性心疾患の予防(虚血性心疾患)
虚血性心疾患の発生を未然に防ぐことを一次予防という.一般的に一次予防は健康増進と特異的予防に分かれ,健康増進はおもに,生活習慣の改善のことで,特異的予防は予防接種,事故防止,職業病対策,公害防止対策などがある.
a.日本人における虚血性心疾患の特徴
心血管病による死亡は,WHOによると2008年の死因の第1位で1730万人,死亡率はおよそ30%で,730万人が冠動脈疾患,620万人が脳血管障害によるものである.日本人では,心血管病(心疾患と脳血管障害)による死亡は,悪性新生物につぐ2位で,この数年は横ばいである.死亡統計は,死に至らない軽症例の実態を反映していないことを鑑み,久山町研究とFramingham研究とを比較してみると,久山町における心筋梗塞発症率(対1000人/年)は男性1.6,女性0.7,Framingham研究はそれぞれ7.1,4.2で,Framingham の方が5~6倍高い.一方,久山町の脳梗塞発症率(対1000人/年)は男性10.8,女性6.4で,Framinghamの2.5,1.9に比べ3~4倍高い.つまり,日本人は脳卒中の発症率が高く,反対に虚血性心疾患のリスクが低いことが特徴である.
米国では,心血管病は1981年以来死因の第1位ではあるが,死亡率は28%から24%に減少した.これは,診断技術の進歩と早期治療が奏効したことに加えて,喫煙,高血圧,脂質などに対する介入のためと評価されている.近年日本では,肥満,脂質異常症,耐糖能異常などの大幅な増加があり,久山町研究では,1961年から2000年にかけて虚血性心疾患発症率に有意な時代的変化はないとはいえ,今後,虚血性心疾患発症率が上昇に転じる可能性は高い.虚血性心疾患の危険因子に対して,予防対策を確立する必要がある.
日本循環器学会(虚血性心疾患の一次予防ガイドライン2006年改訂版)では以下をリスク因子と規定している.①加齢(男性45歳以上,女性55歳以上)②冠動脈疾患の家族歴③喫煙習慣④高血圧(収縮期血圧140 mmHg以上,あるいは拡張期血圧90 mmHg以上)⑤肥満(BMI25以上かつウエスト周囲径が男性で85 cm,女性で90 cm以上) ⑥耐糖能異常(境界型および糖尿病型)⑦高コレステロール血症(総コレステロール220 mg/dL以上,あるいはLDLコレステロール140 mg/dL以上) ⑧高トリグリセリド血症(150 mg/dL以上)⑨低HDLコレステロール血症(40 mg/dL未満) ⑩メタボリック症候群⑪精神的・肉体的ストレス,喫煙
ガイドライン策定から,今日まで,いくつかの話題に関して変更があり,それらを含めつつ以下にそれぞれに関して述べることとする.
b.喫煙習慣
喫煙は,虚血性心疾患の発症率および死亡率を高めていることが証明されている.日本で行われた大規模前向きコホート研究であるJ-LITの一次予防コホートにおいても,喫煙習慣は有意に相対危険度が高く,非喫煙者に比して冠動脈イベント発症のリスクは1.6倍高かった.禁煙による虚血性心疾患死亡の相対危険度は,喫煙を続けている者を1とした場合に禁煙して1~4年で0.6,禁煙して10~14年で0.5に減少すると計算されている.禁煙の方法としては,個別カウンセリングや禁煙教室のほか,ニコチン受容体部分アゴニストであるバレニクリンや,ニコチンパッチなどのニコチン代替薬を用いた薬物療法がある.
c.運動
活発な身体活動が,冠動脈疾患の発生または死亡を減らすことが知られている(図5-7-41).米国では,米国スポーツ医学協会(ACSM),米国心臓協会(AHA),NIH Consensus Conferenceが,それぞれ科学的な根拠に基づいて勧告し,それらは「中等度の動的な運動を,1日30分,週3~4日できれば毎日行うこと」に要約される.わが国のガイドラインでは「中等度の強度の運動(時速4.5~6.5 kmの速足歩き,ゆっくりと泳ぐ水泳,平地を歩くゴルフ,など)を1日30分,できれば毎日」行うことを勧告している.
d.体重
肥満や痩せは死亡率が高く,冠危険因子の発症を促進する.適正な体重とは個々人ごとに決定する必要があるが,BMI 22では最も疾病が少ないことが知られており,また,BMI 25以上は肥満とされている.肥満のなかでも内臓脂肪型肥満で冠危険因子の合併が高率であり,内臓脂肪型肥満(ウエスト周囲径が男性で85 cm,女性で90 cm以上)では,その改善をはかるようにする.糖尿病患者ではBMIを23未満にすることが推奨される.
e.精神保健
職業性ストレスが虚血性心疾患の発症に関与する要因の1つであることは,欧米を中心に数多くの報告がある.健康に影響を及ぼすストレス要因としては,仕事の負荷・責任などの仕事の要求度,仕事を行ううえでの裁量度や自己能力の発揮などの仕事のコントロール,および職場の人間関係としての上司・同僚の社会的支援がある.これらの要因のほか,長時間労働,仕事の不安定さ,仕事上の出来事,その他の物理・化学的・人間工学的有害因子がストレス要因となり得ることが知られている.
循環器疾患とストレスに関しては,仕事欲求度・コントロールモデルに基づいて行われた研究のほとんどで有意な関連が得られ,仕事の要求度が高く,仕事のコントロールが低い高ストレイン群での虚血性心疾患の相対危険度は1.5~5倍と報告されている.
日本循環器学会ガイドラインにおいては,作業量を工夫し,長時間労働を避け,休日・休息を確保すること,さらに心理的緊張状態の改善を得るために,仕事の要求度と裁量の自由度比を下げ,さらに職場における社会的支援を増やすことが望ましいとしている.また,タイプA行動パターンが急性心筋梗塞発症の危険因子となることが知られており,同ガイドラインではあわせて,タイプA行動に気づき,それをコントロールすることを目標に掲げている.
f.高血圧
血圧の目標は日本高血圧学会のガイドラインには,若年/中年者は130/85 mmHg未満,糖尿病患者/腎障害患者は130/80 mmHg未満とある.高齢者は動脈硬化の存在により収縮期高血圧を呈しやすく,また降圧により重要臓器の循環障害をもたらす可能性がある.高血圧は代表的な生活習慣病であり,生活習慣の改善による高血圧予防と降圧効果はすでに一部証明されている.特に高血圧に脂質代謝異常,糖尿病などほかの危険因子が加わっている場合は生活習慣の改善は重要な治療法となる.
g.脂質異常症
以前より,高コレステロール患者で,心血管死が多いことが知られていた(図5-7-42).これまで多くの大規模無作為試験で,冠疾患が明らかでない患者での,死亡率,心血管死,心筋梗塞,脳血管障害の予防においてスタチンの有効性が示されている.これまでの脂質異常症の診断基準(表5-7-15)に加え,指標の1つにnon HDLコレステロール(TC-HDL-C)が近年提唱され2012年改訂の動脈硬化性疾患予防ガイドラインに正式に採用された.これは,抗動脈硬化作用を有するHDLの影響を除いたもので,LDL,IDL,VLDLをはじめ,レムナントやsmall dense LDLなどの動脈硬化惹起性の高いリポ蛋白を総合的に判断できる指標である.
h.糖尿病
血糖の正常化により冠危険因子である脂質異常が改善すること,また細小血管合併症の発症,進展が予防できることからもできるだけ正常値に近づける厳格な血糖コントロールが虚血性心疾患の一次予防のため推奨される.2424名の対象者を8年間追跡した久山町研究では,糖尿病患者の脳梗塞を含む初回発症危険率が,空腹時血糖120 mg/dL以上になると有意に上昇した.糖尿病患者における高血圧の治療に際して使用する薬剤については,インスリン抵抗性を改善し,また脂質代謝に悪影響をおよぼさないもので,虚血性心疾患発症予防に対する有用性を考慮し,ACE阻害薬やカルシウムチャネル拮抗薬を選択する.
i.アスピリン 22071名の医師をアスピリン群とプラセボ群にわけ,平均60.2カ月にわたりアスピリン325 mgを隔日投与した無作為比較二重盲検試験である Physicians’ Health Study では,致死的・非致死的心筋梗塞の発症はアスピリン群が有意に低く,アスピリンが心筋梗塞の一次予防に有効とされた.一方,脳血管障害ならびに心血管病による死亡での効果はまだ結論が出ておらず,また,長期のアスピリン内服に伴う出血性合併症の増加も近年指摘されている.虚血性心疾患予防目的のアスピリン内服は,Framinghamリスクスコアや,NIPPON DATA80などを用いて,虚血性心疾患のリスクを層別化し,中等度以上の患者に用いることがよいと考える.
j.リスク軽減に繋がる生活習慣
生活習慣そのものを比較し,大幅なリスク軽減を認めた前向きの観察研究がいくつかある.Knoopsら(JAMA, 292: 1433, 2004)は1507人の人に対して地中海式の食事,身体的に活動的であること,中等度のアルコール使用,禁煙のうち,4つとも採択した人が,0もしくは1つのみ採択した人に比較して死亡率が60%以上低下したことを報告している.Chiuveらは大規模観察研究である,Health Professional Follow-up Study(43685人の男性),Nurse’s Health Study(71243人の女性)のデータをあわせて,禁煙,BMI < 25 kg/m2,1日30分以上の身体的活動,適度なアルコール使用,健康な食事,で定義された低リスクライフスタイル群が,脳血管イベントの発症が低かったことを報告している(Circulation, 118: 947, 2008).
(2)二次予防
虚血性心疾患が判明している患者では,その後の心筋梗塞,脳血管障害,心血管死が多いことが知られている.生活習慣の変容(適度な運動,食事,体重のコントロール,禁煙)を行うことで,早い人では6カ月後より前述のイベントが減ることが報告されている.虚血性心疾患患者が,心筋梗塞,脳血管障害,心血管死となるのを未然に防ぐことを二次予防と,この項では定義し,一次予防で述べた項目のほかに知られている生活習慣の改善を中心に述べる.
a.虚血性心疾患と同等のリスクがある患者群
米国で2002年に報告されたガイドラインの1つであるAdult Treatment Panel Ⅲではメタボリック症候群患者,糖尿病患者,慢性腎臓病患者に加え,以下の患者群も二次予防の対象とするべきである,と報告している.
1)冠動脈疾患の既往のある患者
: 心筋梗塞後平均5年追跡調査をした研究(Witt, et al:Ann Intern Med, 2005)では心筋梗塞後最初の30日間は脳梗塞の発症率が通常人に比べ44倍上昇し,その後低下するものの最初の3年間は通常人の2~3倍程度であり,また,心筋梗塞後患者の脳梗塞による死亡率は通常人の3倍である,と報告している.
2)冠動脈以外の動脈硬化性疾患のある患者(頸動脈疾患,末梢動脈疾患,腹部大動脈瘤):
これらの疾患がある患者では冠動脈疾患の10年発症率が20%以上であることが知られている.
b.うつ病
うつ病は冠動脈疾患の危険因子ではないが,冠動脈疾患患者にうつ病がしばしばみられ,かつ,うつ病を発症した冠動脈疾患患者は,発症していない患者に比べ,生命予後が悪いことが知られている.
c.アルコール
大量飲酒者は,冠動脈疾患患者のなかで最も死亡率が高い.さらに,大量飲酒は癌とすべての死因において避けることのできる最大の要因でもある.一方で,一日1,2杯の飲酒が飲まない群に比べて20%程度の心血管病死のリスク軽減につながると報告されている(Iestra, et al, 1998).そのメカニズムであるが,HDLコレステロールの上昇によるものと推測されている.
d.心血管病予防に効果的でないとされている治療
ⅰ)抗酸化ビタミン
抗酸化ビタミン(ビタミンE,ベータカロテン,ビタミンC)は基礎研究や観察研究では非常によい結果が出たにもかかわらず,一次予防ならびに二次予防を対象とした,いくつもの大規模臨床介入試験において,基礎データより予想された利点も,観察研究より予想された利点も,すべて否定的であった(Yusurf, et al: NEJM, 2000; Heart Protection Collaborative Group: Lancet, 2002; Cook, et al: Arch Intern Med
, 2007).
ⅱ)ホモシステインと葉酸
観察研究ではホモシステイン濃度の上昇と冠動脈疾患の増加に相関があり,ホモシステイン濃度を下げる葉酸の有用性が期待され,いくつかの前向き介入試験を行ったが,結果はすべて否定的であった.
ⅲ)閉経後女性に対するホルモン療法
観察研究,血管造影による研究,病理解剖に基づく研究では,エストロゲンの抗動脈硬化作用が示唆され,冠動脈疾患の一次,二次予防に効果があると考えられていた.しかし,大規模臨床介入Women’s
Health Initiativeでは逆の結果が得られ,その他の無作為化比較臨床試験でも乳癌や血栓症の危険が報告され,現状では冠動脈疾患の一次,二次予防を目的としたホルモン療法は選択するべきではない.[李 政哲・山崎 力]
■文献
北畠 顕,他:虚血性心疾患の一次予防ガイドライン(2006年改訂版),日本循環器学会.http://www.j-circ.or.jp/guideline/pdf/JCS2006_kitabatake_h.pdf
Iestra JA, Kromhout D, et al: Effect size estimates of lifestyle and dietary changes on all-cause mortality in coronary artery disease patients. A systematic review. Circulation, 112: 924-934 2005.
Muntwyler J, Hennekens CH, et al: Mortality and light to moderate alcohol consumption after myocardial infarction. Lancet, 352: 1882-1885, 1998.
小川久雄,他:心筋梗塞二次予防に関するガイドライン(2011年改訂版),日本循環器学会.http://www.j-circ.or.jp/guideline/pdf/JCS2011_ogawah_h.pdf
出典 内科学 第10版内科学 第10版について 情報