蜂須賀茂韶(読み)はちすか もちあき

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蜂須賀茂韶 はちすか-もちあき

1846-1918 幕末-大正時代の大名,政治家。
弘化(こうか)3年8月8日生まれ。蜂須賀斉裕(なりひろ)の子。慶応4年阿波(あわ)徳島藩主蜂須賀家14代となる。維新後議定(ぎじょう)となり,明治5年イギリスへ留学。帰国後,外務省御用掛をへてフランス公使,東京府知事,貴族院議長,第2次松方内閣文相,枢密顧問官などをつとめた。侯爵。大正7年2月10日死去。73歳。幼名は氏太郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

蜂須賀茂韶

没年:大正7.2.10(1918)
生年:弘化3.8.8(1846.9.28)
阿波徳島藩最後の藩主,明治期の官僚。号は誠堂,霰笠。父は同藩主斉裕,母は側室たま。将軍徳川家茂の茂の字を下賜された。明治1(1868)年1月襲封し,討幕勢力に加わる。明治政府で議定,刑法事務局輔,民部官知事を務め,版籍奉還をいち早く主張した。5年から12年まで英国に留学,帰国後外務省御用掛に任じられた。その後,駐フランス公使(スペイン,ポルトガル,スイス,ベルギーも兼任)に転じ,元老院議官,貴族院議員・議長,東京府知事,文部大臣(第2次松方正義内閣)などを歴任した。その間侯爵に叙せられ,華族の資産活用に尽力したほか,俳句,能楽,相撲などの振興に努めた。<参考文献>『徳島県史』5巻

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

はちすかもちあき【蜂須賀茂韶】

1846‐1918(弘化3‐大正7)
幕末・明治期の政治家。斉裕の子。1868年(明治1)1月徳島藩主。それまで淡路守と称し,1862年(文久2)上京し,孝明天皇の石清水社行幸に供奉した。また翌年鳥取藩主池田慶徳らと七卿および長州藩にたいする寛典を朝廷に要請した。公武合体をもとめる姿がうかがえる。維新後議定になり,民部官知事などを歴任し,72年イギリスに留学。帰国後外交官として活躍し,また東京府知事,貴族院議長,文相,枢密顧問官などを歴任した。

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世界大百科事典内の蜂須賀茂韶の言及

【徳島藩】より

…1841年(天保12)三好郡山城谷に起こった一揆は年貢の軽減,タバコの自由販売を要求するもので,美馬郡から阿波郡へと藍作地帯にまで波及した。 62年(文久2)蜂須賀茂韶(もちあき)は京都守護のため上洛,徳島藩も幕末の政争にまきこまれていった。淡路城代家老稲田邦稙(くにたね),天羽生岐城(あもうきじよう),小杉榲邨(すぎむら),安芸梅軒らが討幕運動に参加した。…

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