日本大百科全書(ニッポニカ) 「行動主義文学」の意味・わかりやすい解説
行動主義文学
こうどうしゅぎぶんがく
一般にフランスの1930年代のマルロー、サン・テグジュペリなどの、行動する主人公を描く文学、もしくは社会参画を行う作家の文学というふうに解される。もっとも、こうした用語はフランス語にはない。その命名者であるとともに、上述の定義を行ったのは、1931年(昭和6)にフランスから帰国した小松清(きよし)(1900―62)であって、34年3月フランスで「反ファシスト知識人監視委員会」が結成された事実を紹介した「仏文学の一転機」(『行動』34年10月号)のなかで、ファシズムに抵抗するための行動的ヒューマニズムを説いたのを嚆矢(こうし)とする。小松のこの問題提起は、プロレタリア文学壊滅後、現実への危機意識を深めていた雑誌『行動』に拠(よ)る舟橋聖一、阿部知二(ともじ)、青野季吉(すえきち)ら旧左翼もしくは自由主義的な文学者の共感をよぶ一方、大森義太郎(よしたろう)、戸坂潤ら左翼の側からは、マルクシズムに基づかぬブルジョアの妄想(もうそう)と非難され、以後ほぼ半年の間、行動主義論争が知識人の社会参画の問題をめぐって論壇をにぎわすこととなる。とはいえ、行動主義の側にたつ文学者の間で、それが小説理論なのか実践理論なのか明確でなかったこともあって、天皇機関説事件により言論統制が厳しくなるにつれ、問題は小説理論のそれに矮小(わいしょう)化され、35年夏までに論争は自然消滅した。普通、行動主義文学の代表的作品として、舟橋聖一の『ダイヴィング』(1934)や横光利一(りいち)の『紋章』(1934)があげられる。
[渡辺一民]