サン・テグジュペリ(読み)さんてぐじゅぺり(英語表記)Antoine de Saint-Exupéry

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サン・テグジュペリ」の意味・わかりやすい解説

サン・テグジュペリ
さんてぐじゅぺり
Antoine de Saint-Exupéry
(1900―1944)

フランスの飛行家で小説家。人間の条件を行動のうちに探究し、危機感のなかに人間性と人間の責任をとらえようとする行動主義文学の代表的作家。名門貴族の子弟としてリヨンに生まれる。初め海軍兵学校を志すが、入試に失敗し、美術学校で建築を学ぶ。1921年、兵役で航空隊に入り操縦士となったが、除隊後は工員、セールスマンなどをしながら、26年ごろから雑誌に文学作品を発表する。のちラテコエール航空会社に入ったが、当時は航空路開発時代で、数々の冒険、危難を経験する。1927年、トゥールーズ―カサブランカ空路のパイロットとなり、その体験から処女作『南方郵便機』(1929)を発表、未知の美を夢想する飛行家の内面を描く。その後、南米空路開発に従事したあと帰仏して結婚し、『夜間飛行』(1931)を執筆、これによりフェミナ賞を受賞する。続いて『人間の土地』(1939)では、行動の倫理を追求し、行動主義文学の旗印を鮮明にする。

 第二次世界大戦で動員され、とくに偵察任務に従事したが、独仏休戦後、一時、妻とニューヨークに亡命、戦争体験を踏まえた思索の書『戦う操縦士』(1942)、童話『星の王子さま』(1943)、書簡体エッセイ『ある人質への手紙』(1943)、文明を論じる未完論文城砦(じょうさい)』(没後刊、1948)などを発表。1943年北アフリカの原隊に復帰、連合軍のシチリア進攻を援護したが、翌年7月31日、偵察飛行のためコルシカ島の基地を発進したまま帰還せず。一説では帰投直前ドイツ戦闘機に撃墜されたといわれる。

[榊原晃三]

 1998年9月、フランス南部のマルセイユ沖でサン・テグジュペリの名前が彫られた銀のブレスレットが発見された。海中探索の結果、搭乗機の残骸(ざんがい)が発見され、2004年4月、墜落地点が特定された。

[編集部]

『山崎庸一郎・粟津則雄・渡辺一民他訳『サン=テグジュペリ著作集』6巻・別巻1(1962・みすず書房)』『山崎庸一郎著『サン=テグジュペリの生涯』(1971・新潮社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サン・テグジュペリ」の意味・わかりやすい解説

サン=テグジュペリ
Saint-Exupéry, Antoine Marie Roger de

[生]1900.6.29. リヨン
[没]1944.7.31. マルセイユ沖
フランスの小説家,飛行士。初めエコール・ナバル (海軍兵学校) を志望したが果たさず,兵役で空軍に入隊,飛行士の資格を取ったのち,ラテコエール社に入社,初期の長距離航空路開設に重要な役割を果した。第2次世界大戦に際して偵察機パイロット,のち北アフリカで連合軍の飛行士となったが,任務でコルシカ島を飛び立ってのち,消息を断った。墜落地点は長らく不明だったが,2003年 10月にマルセイユ沖で引き揚げられた機体の一部が,2004年に本人の搭乗機と確認された。飛行士としての知識と経験を,人間精神の価値に関する深い省察にまで高めて,密度の高い詩的な文体に表現した。『南方郵便機』 Courrier Sud (1929) やフランスと南アメリカを結ぶ最初の定期航空路開設のエピソードを扱った『夜間飛行』 Vol de nuit (1931) ,飛行の体験を通じての,人間の尊厳と責任,愛と連帯に関する思索を記した『人間の土地』 Terre des hommes (1939) ,ある従軍飛行士の悲劇的任務の物語『戦う操縦士』 Pilote de guerre (1942) や童話のスタイルによる『星の王子さま』 Le Petit Prince (1943) のほか,レジスタンスのさなかに同胞に向けて書いた『ある人質への手紙』 Lettre à un otage (1943) ,遺稿集『城砦』 Citadelle (1948) がある。

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