行神社(読み)むかばきじんじや

日本歴史地名大系 「行神社」の解説

神社
むかばきじんじや

[現在地名]延岡市行縢町

行縢山南麓に鎮座する。祭神は伊弉冊命・事解男命・速玉男命。旧郷社。行縢山は日本武尊伝承を伝えるなど、古くから山岳信仰の対象であったと思われる。応永二六年(一四一九)三月八日に書写された今山八幡宮旧記(今山八幡宮文書)のうち天永元年(一一一〇)一一月日の今山八幡宮御神事并祭会料米下行引付によれば、行縢山は臼杵郡総鎮守であった今山いまやま八幡宮に一月三日鏡餅三枚を供奉し、供僧・神人などが参詣していた。

行縢神社由来(行縢神社文書)によれば、行縢山の山麓に紀州那智山の熊野権現が勧請されたのは養老二年(七一八)とされるが、実際の勧請時期は熊野信仰が九州に展開する一二世紀半ば以降と考えられる。以降、行縢三所権現・行縢大権現と称した。臼杵郡一帯に勢力をもった別当僧が管掌し、永仁二年(一二九四)四月二八日に如心房静全が別当職に補任されている(「平某行縢社別当職補任状」同文書)


行神社
ゆきじんじや

[現在地名]富谷町志戸田 塩竈

志戸田しとだ集落の北端、国道四号を東方下に望む塩竈殿しおがまでん山にある。麓には、塩竈の塩を製した七つの釜の一つが飛んできて沈んだと伝える手濯てあらい池と称する池がある。この池は「志戸田村安永風土記」では水洗みずあらい(手洗の誤記か)の水元となっており、池の中央四、五間四方は旱魃にも水はかれないと注記している。祭神猿田彦命。同風土記に村鎮守塩竈殿とあり、行神社志波しば大明神と記すが、しば大明神とも記した。「延喜式」神名帳黒川郡四座のうちの「ユクノ神社」に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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