西大路町
にしおおじちよう
町の中央を東西に上立売通が通り、東は新町通。
「応仁記」に「西大路をば寵臣安富民部丞元綱三千人を引率して、入江殿の西釘貫打て支へたり」とあり、東軍細川勝元が西大路の入江殿で西軍を防いでいる。また、「長興宿禰記」の文明七年(一四七五)二月二〇日条に
<資料は省略されています>
とある。当町の北側の持明院跡が安楽光院となり、焼失後は泉涌寺(現東山区)へ移転した。
当町の南側は五摂家の一つで近衛殿の桜御所であったが、その間の通路が毘沙門堂大路(現上立売通)の西の大路で、その名称を町名とした(坊目誌)。「上古京親町之古地由来記」には「西大路町と申ハ、上立売之西ニ有、今洛東泉涌寺中ニ有安楽光院といふは、昔此地に有て、其西門西の大路の面に有るが故に西大路町といへり」とある。
西大路町
にしおおじちよう
[現在地名]兵庫区兵庫町一―二丁目
富屋町の北西に接する岡方の町で、地方一八町の一。山陽道湊口から分れて兵庫津の最も西寄りの南北通り北端に位置する。慶長七年(一六〇二)の兵庫屋地子帳(兵庫岡方文書)に「西おちの町」とみえ、屋敷地四筆。元禄九年(一六九六)の兵庫津絵図(
井家蔵)に西大路町と記され、西光寺(現浄土宗藤之寺)・極楽寺(現浄土宗)・恵林寺(現臨済宗南禅寺派)をはじめ、町周辺に多くの寺院があって寺町的景観を呈する。
西大路町
にしおおじちよう
町の中央を東西に下立売通(旧勘解由小路)、南北に小川通が通る。平安京の条坊では左京一条二坊三保一四町の南側と同一三町の北側の地で、平安中期以降は勘解由小路油小路東の地。平安前期、一四町の地は官衙町の「左獄」、一三町の地は儒者滋野貞主の邸宅「滋野井」にあたる(拾芥抄)。
勘解由小路(現下立売通)町尻小路(現新町通)辺りから西へ油小路に至る地域を西大路とよんだ。「室町殿日記」永禄八年(一五六五)五月一九日条に「西大路をば三好岩笑斎、腹帯地蔵堂を後にあてて陣を取けり」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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