西岡常一(読み)ニシオカ ツネカズ

20世紀日本人名事典 「西岡常一」の解説

西岡 常一
ニシオカ ツネカズ

昭和期の宮大工 元・薬師寺伽藍復興奉行所監理設計技師。



生年
明治41(1908)年9月4日

没年
平成7(1995)年4月11日

出生地
奈良県生駒法隆寺村西里(現・斑鳩町)

別名
別名=鵤寺工 常一

学歴〔年〕
生駒農学校〔大正13年〕卒

主な受賞名〔年〕
吉川英治文化賞〔昭和49年〕,紫綬褒章〔昭和51年〕,日本建築学会賞(昭55年度),勲四等瑞宝章〔昭和56年〕,日本キワニス文化賞(第26回)〔平成2年〕,みどりの文化賞(第2回)〔平成3年〕,文化功労者〔平成4年〕,斑鳩町名誉町民〔平成5年〕,日刊工業新聞技術科学図書文化賞(審査員特別賞 第10回)〔平成6年〕「木のいのち 木のこころ

経歴
法隆寺累代棟梁西岡家三代棟梁楢光の長子として出生。大正14年より大工見習(法隆寺)。昭和7年橿原神宮拝殿、同年洛北鞍馬寺本堂、8年法隆寺大修理修理設計、9〜29年法隆寺修理、31〜34年法隆寺保存事務所技師、35〜39年明王院大修理、40〜44年法輪三重塔再建設計、45〜51年薬師寺金堂再建、52〜56年薬師寺西塔再建、57〜59年薬師寺中門再建、60年から薬師寺三蔵新伽藍造営。平成2年脳こうそくで倒れるが復帰。5年12月引退。著書に「法隆寺を支えた木」「木に学べ―法隆寺・薬師寺の美」「木のいのち 木のこころ」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「西岡常一」の意味・わかりやすい解説

西岡常一
にしおかつねかず
(1908―1995)

宮大工。奈良県生まれ。法隆寺累代棟梁(とうりょう)西岡家3代棟梁楢光の長男。1924年(大正13)生駒(いこま)農学校卒業。1934年(昭和9)から1954年までの法隆寺の「昭和の大修理」で、世界最古の木造建築の金堂や五重塔など全伽藍(がらん)の解体修理を手がけた。以後、薬師寺金堂・西塔・中門などを再建、さらに薬師寺三蔵新伽藍の造営に尽力した。ほか各地の寺院修理にも携わり、1975年には斑鳩(いかるが)三古塔の一つ法輪寺三重塔の再建の棟梁を務めた。飛鳥時代の古代建築工法で大伽藍を造営できる「最後の宮大工棟梁」といわれた。著書に『法隆寺を支えた木』『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』『木のいのち 木のこころ』などがある。1974年吉川英治文化賞、1980年日本建築学会賞、1991年(平成3)みどりの文化賞などを受賞。1976年紫綬褒章(しじゅほうしょう)、1981年勲四等瑞宝章(ずいほうしょう)を受章。1992年文化功労者に選ばれた。1995年4月11日没。

[編集部]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西岡常一」の解説

西岡常一 にしおか-つねかず

1908-1995 昭和時代の大工。
明治41年9月4日生まれ。西岡楢光(ならみつ)の長男。法隆寺宮大工の棟梁(とうりょう)。父や弟の西岡楢二郎(ならじろう)とともに法隆寺の昭和大修理に参加,金堂,五重塔などの解体修理にかかわる。薬師寺金堂,西塔の復元再建も手がけた。昭和49年父,弟とともに吉川英治文化賞,平成4年文化功労者。平成7年4月11日死去。86歳。奈良県出身。生駒(いこま)農学校(現郡山農高)卒。

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367日誕生日大事典 「西岡常一」の解説

西岡 常一 (にしおか つねかず)

生年月日:1908年9月4日
昭和時代の宮大工
1995年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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