西塔(読み)サイトウ

デジタル大辞泉 「西塔」の意味・読み・例文・類語

さい‐とう〔‐タフ〕【西塔】

東西両塔のうち西にある塔。
比叡山延暦寺三塔の一。根本中堂の西北方の地域で、釈迦堂しゃかどうを中心にした堂塔の総称。

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精選版 日本国語大辞典 「西塔」の意味・読み・例文・類語

さい‐とう‥タフ【西塔】

  1. [ 1 ] 寺院にある東西両塔のうち、西にある塔。
  2. [ 2 ] 滋賀県大津市坂本、比叡山延暦寺の三塔の一つ。根本中堂のある西北方にあたる地域。釈迦堂転法輪堂)を中心に、法華堂常行堂相輪橖、椿堂などがあり、それらの寺院、堂塔を総称する。西塔院。宝幢(ほうとう)院。

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日本歴史地名大系 「西塔」の解説

西塔
さいとう

[現在地名]高野町高野山

孔雀くじやく堂の西、壇上伽藍の北西隅にある。五間四面、高さ九丈、二重の宝塔で銅瓦葺。天保五年(一八三四)の完成。本尊は金剛界の五仏。うち中尊の木造大日如来坐像(国指定重要文化財)創建時のもので、高野山最古の像。承和元年(八三四)の知識を勧進して仏塔を造り奉る書(性霊集)の「盧舎那法界体性の塔二基」はだい塔と西塔をさすといわれ、空海在世中に計画された塔であったが、仁和三年(八八七)小松天皇(光孝天皇)の御願で、真然が空海の図記に基づいて創建した。金剛峯寺建立修行縁起は「九丈多宝塔一基、奉安置八尺大日、五尺四仏金界、已上三真然僧正仁和三年丁未依勅建立之、小松天皇御宇云々」と記す。ちなみに「高野春秋」は仁和二年の創建とする。

西塔は過去四回にわたり火災に遭った。最初は正暦五年(九九四)伽藍類焼した(高野春秋)ときと考えられる。「鳥羽上皇高野御幸記」天治元年(一一二四)一〇月三〇日条に、奥院礼殿での理趣三昧の席で「仰云、造立西大塔、可復旧基之由」とあり、大治二年(一一二七)一一月白河法皇・鳥羽上皇臨席のもと、座主勝覚を導師に西塔および東塔の落慶供養が修された(「高野山検校帳」又続宝簡集)


西塔
さいとう

東塔の北西方に位置し、塔域は山城国にわたる。東塔とともに初期比叡山を構成し、もとは東塔の管轄下にあったとされる。西塔の中堂である釈迦堂を中心に南谷・南尾谷みなみおだに・北尾谷・北谷・東谷の五谷に分れ、北谷のさらに北には別所黒谷くろだにが置かれた。西塔の主要堂舎は惣堂分(本院分とも)に含まれ、平安末または鎌倉中期の成立という「叡岳要記」には以下の堂舎を記す。釈迦しやか(転法輪堂・中堂)・西塔院・法華ほつけ堂・常行じようぎよう堂・宝幢院・相輪そうりん丈六じようろく(勧学堂)西塔大日さいとうだいにち院・勧学かんがく堂・千光せんこう院・千手せんじゆ院・大乗だいじよう院・勝蓮華しようれんげ院・普門ふもん院・真言しんごん院・西楽さいらく堂・東楽堂・慈眼じげん院・般若はんにや(院)妙法みようほう堂・西方さいほう院。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「西塔」の意味・わかりやすい解説

西塔【さいとう】

延暦寺を形成する三塔の一つ。根本中堂をもつ東塔の北側にあり,中心に釈迦堂(転法輪堂),法華堂・常行堂(回廊で連なり,にない堂とも),相輪【とう】がある。黒谷の青竜寺良源の創立にかかり,法然真盛らの修学地である。
→関連項目東塔

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世界大百科事典(旧版)内の西塔の言及

【延暦寺】より

…その後豊臣,徳川2氏が寺領を寄進して諸堂の復興を助け,1636年(寛永13)には根本中堂の復興が成り,しだいに旧観に復した。園城寺日吉大社
[堂塔]
 近江,山城2国にわたる広大な山上の寺域は三塔(東塔,西塔,横川(よかわ)),十六谷に分かれる。東塔は,東・西・南・北・無動寺の五谷より成り,もっとも早く開かれた寺域で,一山の本堂である根本中堂をはじめ,大講堂,戒壇院,文殊楼,総持院,浄土院(最澄の廟所),無動寺等がある。…

※「西塔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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