西浦部(読み)にしうらべ

日本歴史地名大系 「西浦部」の解説

西浦部
にしうらべ

中世にみえる広域通称名で、浦部島の西部にあたる。西浦目にしうらめとも記され、西浦ともいう。正安四年(一三〇二)六月日の河棚住人秋丸恒安申状案(青方文書、以下同文書)に五島西浦部とみえる。「西浦目」の祝言しゆうげ島・おれ(現上五島町、応永二九年五月一三日江道機等連署押書状案)赤浜あかはま(現新魚目町、康永三年四月一日寂念置文案)白魚しろいお(現若松町、康永三年五月二四日白魚繁・沙弥円心連署契約状案)佐保さほ(現若松町、正平一二年四月二九日白魚政譲状案)などが属しており、現在の中通なかどおり島の北端までを称していたらしい(観応三年一〇月二五日松浦理契約状案)。また「にしうらめのうちしもうらめ」とあって下浦部しもうらべなどの区分があったことがわかる(嘉暦二年閏九月二九日白魚盛高和与状案)

当地に勢力をもった住人は青方氏で、正安三年西浦部地頭として青方四郎高家がみえる(同年六月一九日鎮西御教書案)。氏祖とされる家高は、建久七年(一一九六)小値賀おちか島の地頭職に補任された尋覚次男で、浦部島を譲られて青方氏を称したという。しかし家高は浦部を嫡子能高に譲ったが、能高が祖父尋覚に違乱をなしたため、尋覚はこれを悔返し、長男通高(通澄)に譲り直した(承元二年七月日尋覚譲状案)。のち小値賀島地頭峰持(のちの平戸松浦氏)のとき地頭代官(下沙汰職)とされ(暦仁元年一二月二五日峰持・源等和与状案)、浦部島の支配権もその限りのものとなるが、峰氏に無断で子息への譲与を行った(弘安一〇年一一月一九日青方覚尋譲状案など)。正和元年(一三一二)青方高家(覚念)は子息の高継が五島青方西浦部を競望したとして訴え(同年一一月日青方覚念申状案)、高継は上府を命じられた(同年一二月七日鎮西御教書案)。元応二年(一三二〇)五島西浦部の青方をめぐって青方高継とその舎弟高光との相論があったが、和与を結び、高継が三分の二、高光が三分の一としているほか、「西浦部乃惣」について、父祖代々の相論に古敵人が異論を挟んできたとき、分限に従って寄合訴訟するよう定めている(同年一〇月二一日青方高光和与状案、同年一一月九日鎮西裁許状案)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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