西谷啓治(読み)にしたにけいじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「西谷啓治」の意味・わかりやすい解説

西谷啓治
にしたにけいじ
(1900―1990)

宗教哲学者。石川県に生まれる。1921年(大正10)西田幾多郎(にしだきたろう)を慕って京都帝国大学文学部哲学科に入学。1924年卒業。1943年(昭和18)同大学文学部宗教学第一講座担当教授。1947年には職を退くが、1952年に復帰。1963年定年退官し、1971年まで大谷(おおたに)大学教授。1965年日本学士院会員となる。1982年文化功労者、1984年仏教伝道文化賞を受賞。彼は禅の立場から、自己存在の本来の根底を究明し、現代における「あるべき宗教」を提示する。とりわけ、近代科学の帰結であるニヒリズムを問題として、その克服を、虚無深淵(しんえん)がそこで成り立つ「空」、すなわち絶対の無に求める。主著は『根源的主体性の哲学』(1940)、『神と絶対無』『アリストテレス論攷(ろんこう)』(1948)、『ニヒリズム』(1949)、『宗教とは何か――宗教論集Ⅰ』(1961)、『禅の立場――宗教論集Ⅱ』(1986)、『寒山詩』(1986)。

原島 正 2016年9月16日]

『『西谷啓治著作集』全26巻(1986~1995・創文社)』『佐々木徹著『西谷啓治――その思索への道標』(1986・法蔵館)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「西谷啓治」の解説

西谷 啓治
ニシタニ ケイジ

昭和期の哲学者 京都大学名誉教授;大谷大学名誉教授。



生年
明治33(1900)年2月27日

没年
平成2(1990)年11月24日

出生地
石川県鳳至郡能都町

出身地
東京

学歴〔年〕
京都帝国大学文学部哲学科〔大正13年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和20年〕

主な受賞名〔年〕
勲二等瑞宝章〔昭和45年〕,ゲーテ賞(西独)〔昭和47年〕,文化功労者〔昭和57年〕,仏教伝道文化賞〔昭和59年〕,東洋哲学学術賞(第2回)〔昭和63年〕

経歴
一高時代、結核で命の自信を失い、聖書や仏教書やニーチェを読み、京大哲学科へ進む。昭和7年京都帝大講師、10年助教授を経て、18年教授に就任。一時公職を離れるが27年再び京大教授。38年大谷大教授となる。特定の宗教ではなく、東洋思想西洋の宗教、哲学を広く研究し、人間存在と宗教との本質的な結びつきを探求。著書に「ニヒリズム」「神と絶対無」「宗教とは何か」など。仏教、キリスト教、神道などさまざまな宗教の研究者による「現代における宗教の役割研究会」の会長を、設立以来、十数年務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西谷啓治」の解説

西谷啓治 にしたに-けいじ

1900-1990 昭和時代の宗教哲学者。
明治33年2月27日生まれ。西田幾多郎に師事し,昭和18年母校京都帝大の教授となり宗教学を担当。戦後は京大,大谷大の教授。京都学派の代表者のひとりで,西田の学風を継承した。57年文化功労者。平成2年11月24日死去。90歳。石川県出身。著作に「根源的主体性の哲学」「宗教とは何か」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「西谷啓治」の解説

西谷 啓治 (にしたに けいじ)

生年月日:1900年2月27日
昭和時代の宗教哲学者。京都大学教授;大谷大学教授
1990年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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