西魚町(読み)にしうおまち

日本歴史地名大系 「西魚町」の解説

西魚町
にしうおまち

[現在地名]姫路市魚町

姫路城南西の外曲輪に位置する町人町。恵美酒えびす町の西に続く東西の町筋で北はたわら町・福中ふくなか町。慶長六年(一六〇一)の町割で成立。寛永八年(一六三一)の那波宗顕譲状(前川家蔵那波文書)に「にしうほ丁」とある。慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)の侍屋敷新絵図町名みえ、町の西部に光明こうみよう寺・慈恩じおん寺・庚申こうしん寺が、さらに西の外堀近くに籠屋が記されている。


西魚町
にしうおまち

[現在地名]小倉北区室町むろまち二―三丁目

西曲輪にある魚町。室町四―五丁目の北側で、八百屋やおや町の西にあり、町並は東西に連なる。北は海(玄界灘)に臨み、石垣が築かれる(藩士屋敷絵図)。東曲輪に新魚町ができたので西魚町というようになった。元和五年(一六一九)細川忠興から城下の生肴払底につき御肴御用聞を命じられた両羽(海士屋)十右衛門はのち当町に居を構えたという(「藍島由緒書」藍島資料)。寛永三年(一六二六)に「西魚や町」「西魚町」とある(永青文庫蔵「日帳」同年五月一三日条など)。おもに町家が建並ぶが、二丁目に武家の屋敷が二軒あった。江戸後期の町屋敷図によると町家は一丁目に二七軒、二丁目に三三軒。


西魚町
にしうおまち

[現在地名]明石市本町ほんまち二丁目

明石城の樽屋たるや御門と囚獄の間、外堀沿いの町で、南は山陽道沿いのなか町に、西は東樽屋町の万屋よろずや丁に交差していた。元和四年(一六一八)築城とともに成立した明石惣町一〇町の一町(明石名勝古事談)。享保六年(一七二一)改によれば役門三五間六歩五厘、家数八六(本家三一・借家五五)、建家表地口二二〇間一尺五寸、人数三七二。大屋佐太郎宅の北の横丁九四間を檜物屋ひものや町とよんだ(明石記)。町名は干魚を中心に昆布・塩物など海産物を扱った商人町であったことに由来。文化年間(一八〇四―一八)初期、当町の塩魚商八人が生魚商の仲間に加入して生魚を販売していたが、同一三年城下町大年寄から惣町の定を乱すとして八人が生魚販売を禁止された。


西魚町
にしうおまち

[現在地名]佐賀市西魚町

伊勢屋本いせやほん町の南にある南北の町で、与賀馬場よかばばの西に東西に延びる八丁馬場と南端で接するが、この八丁馬場をも含めて竈帳では西魚町として取り扱われている。魚町は東魚町と西魚町とがあるが、ともに長崎街道から離れ、武家屋敷からはあまり遠くない位置にある。嘉永七年(一八五四)の竈帳によれば、実竈数は九四、人口は男二五一人、女三三六人、計五八七人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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