角倉船(読み)スミノクラブネ

デジタル大辞泉 「角倉船」の意味・読み・例文・類語

すみのくら‐ぶね【角倉船】

江戸初期、角倉了以素庵父子が朱印状を受けて安南東京トンキンなどへ貿易のために派遣した貿易船。

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精選版 日本国語大辞典 「角倉船」の意味・読み・例文・類語

すみのくら‐ぶね【角倉船】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 近世初期、京都の角倉了以・素庵父子が東南アジアヘ派遣した朱印貿易船の俗称。史料的には一六回の渡航が確認され、寛永三年(一六二六暹羅(シャム)渡航の船は、長さ二〇間(約三六・四メートル)、幅九間(約一六・四メートル。五間の誤りか)、三九七人乗組の大船であって、寛永一一年の奉納額によると、末吉船末次船などと多少異なる点もあるが、唐船造りである。
  3. 高瀬船一種。江戸時代、天龍川を上下して荷物運送にあたった小高瀬船を、開拓者角倉了以にちなんで呼んだもの。〔中泉御役所江差上候八ケ村御口約書上写(1748頃か)〕

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「角倉船」の意味・わかりやすい解説

角倉船
すみのくらぶね

(1) 17世紀初め,京都の商人角倉了以とその子与一が朱印状を受けて,安南国の東京 (トンキン) などとの貿易に従事させたいわゆる御朱印船の一つ。京都の清水寺に寛永 11 (1634) 年奉納された絵馬によると,3本マストの日本前型の船とみられる。同3 (26) 年にシャムへ渡航した船は,乗客,船員ともで 397人も乗っており,およそ 500t級の大型船と推定される。 (2) 慶長 11 (1606) 年,角倉了以が京都と淀川沿いの伏見との間に高瀬川を開削して高瀬船 (川船の一種) を就航させ,その後天竜川などで同型の高瀬船を使用した際,角倉了以の名にちなんで角倉船と呼んだもので,朱印船とはまったく別の小型の川船である。

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世界大百科事典(旧版)内の角倉船の言及

【天竺徳兵衛】より

…播磨国高砂の出身。1626年(寛永3)には角倉(すみのくら)船の船頭前橋清兵衛の書役として,また30年にはヤン・ヨーステンの船に乗船して中天竺(シャム)に渡航した。1707年(宝永4)徳兵衛は両度の渡海と東南アジアの寄港地の見聞を長崎奉行所に提出したが,これが世上に流布して《天竺徳兵衛物語》《渡天物語》などと称された。…

※「角倉船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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