日本歴史地名大系 「諫早郷」の解説
諫早郷
いさはやごう
- 長崎県:諫早市
- 諫早郷
〔諫早領〕
諫早氏の知行は諫早郷のほか肥前国
鍋島氏の佐賀領では知行の分与がなされて御三家が成立、また御親類の四家が分れ、元禄一二年(一六九九)には龍造寺一門の四家が御親類同格と称されているが、諫早家はこの御親類同格であった。慶長国絵図では高来郡六万七千二三九石余のうち諫早領二万六千二三九石余で、田一千七一二町九反余・畠七八二町余、物成一万四千二二六石余・小物成四二〇石余。寛永五年(一六二八)の惣着到状(佐賀県立図書館蔵)では二万五千七四二石余、同一九年の分限帳では二万六千二〇〇石余・地米高一万四八〇石余で、高来郡・彼杵郡・藤津郡の三郡内とされた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報