日本大百科全書(ニッポニカ) 「講孟余話」の意味・わかりやすい解説
講孟余話
こうもうよわ
幕末の尊王思想家吉田松陰(しょういん)の著作中、質量とも第一の主著。1855年(安政2)6月13日に始まり、同年12月15日の出獄を挟み翌年6月13日に至る1年間、初め萩(はぎ)の野山獄(のやまごく)、ついで実家杉百合之助(ゆりのすけ)宅内幽室において同囚および親戚(しんせき)の者と『孟子』を講読、各章読了後の所感、批評、意見等をまとめたもので、松下村塾(しょうかそんじゅく)教育への発端をなす。これに先だち獄風改善、囚人教化を意図した松陰は、55年4月12日より6月10日にかけ、獄舎内で『孟子』本文の訓詁(くんこ)注解的な講義を行った。本書によって松陰の人生観、国家論、ひいては政治・教育・外交思想、読書傾向、学問観などをうかがうことができる。本書は旧名を『講孟箚記(さっき)』と称し、のち松陰自ら改題した。なお付属するものとして、山県太華(やまがただいか)『講孟箚記評語上、下の一、下の二』『講孟箚記評語草稿』、これに対する松陰の反評文、関係のある『黙霖(もくりん)書撮抄一条』があり、『講孟余話附録』にまとめられる。
[山口宗之]
『「講孟余話」(山口県教育会編『吉田松陰全集 第3巻』所収・1972・大和書房)』▽『松本三之介訳「講孟余話(抄)」(松本編『日本の名著31 吉田松陰』所収・1973・中央公論社)』