デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊竹巴太夫」の解説
豊竹巴太夫(3代) とよたけ-ともえだゆう
義太夫節の初代豊竹巴太夫の弟子。豊竹勝太夫,綾太夫(あやたゆう),6代竹本咲太夫をへて,天保(てんぽう)13年3代を襲名。一時江戸茅場町の薬師寺芝居で櫓下(やぐらした)をつとめたのち,嘉永(かえい)6年大坂清水町の文楽芝居の櫓下となった。万延元年8月死去。丹波篠山(ささやま)(兵庫県)出身。通称は善太郎。
豊竹巴太夫(初代) とよたけ-ともえだゆう
明和6年生まれ。大坂の人。義太夫節の初代豊竹麓太夫(ふもとだゆう)にまなぶ。寛政3年大坂北堀江市(いち)の側(かわ)芝居で好評を得,文化7年堀江荒木芝居で櫓下(やぐらした)となった。文政11年12月11日死去。60歳。前名は竹本賀代太夫。通称は茶碗屋助三郎,太好庵。
豊竹巴太夫(2代) とよたけ-ともえだゆう
大坂の人。義太夫節の初代豊竹巴太夫の弟子。江戸で3代豊竹若太夫の名跡をゆずりうけ若太夫を名のる(代数にはいれない)。のち帰坂して文政12年2代巴太夫を襲名。稲荷文楽芝居の櫓下(やぐらした)もつとめた。天保(てんぽう)6年4月24日死去。