豊竹巴太夫(読み)とよたけ ともえだゆう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊竹巴太夫」の解説

豊竹巴太夫(3代) とよたけ-ともえだゆう

?-1860 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫
義太夫節の初代豊竹巴太夫の弟子。豊竹勝太夫,綾太夫(あやたゆう),6代竹本咲太夫をへて,天保(てんぽう)13年3代を襲名。一時江戸茅場町の薬師寺芝居櫓下(やぐらした)をつとめたのち,嘉永(かえい)6年大坂清水町の文楽芝居の櫓下となった。万延元年8月死去。丹波篠山(ささやま)(兵庫県)出身。通称は善太郎。

豊竹巴太夫(初代) とよたけ-ともえだゆう

1769-1829* 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
明和6年生まれ。大坂の人。義太夫節の初代豊竹麓太夫(ふもとだゆう)にまなぶ。寛政3年大坂北堀江市(いち)の側(かわ)芝居で好評を得,文化7年堀江荒木芝居で櫓下(やぐらした)となった。文政11年12月11日死去。60歳。前名は竹本賀代太夫。通称は茶碗屋助三郎,太好庵。

豊竹巴太夫(2代) とよたけ-ともえだゆう

?-1835 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
大坂の人。義太夫節の初代豊竹巴太夫の弟子。江戸で3代豊竹若太夫名跡をゆずりうけ若太夫を名のる(代数にはいれない)。のち帰坂して文政12年2代巴太夫を襲名。稲荷文楽芝居の櫓下(やぐらした)もつとめた。天保(てんぽう)6年4月24日死去。

豊竹巴太夫(4代) とよたけ-ともえだゆう

?-1869 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
大坂の人。義太夫節の2代豊竹巴太夫の弟子。5代竹本政太夫(まさたゆう),5代豊竹若太夫にもまなぶ。豊竹い太夫,2代富太夫,6代若太夫をへて慶応4年4代を襲名した。明治2年7月死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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