豊竹湊太夫(読み)トヨタケ ミナトダユウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「豊竹湊太夫」の解説

豊竹 湊太夫(7代目)
トヨタケ ミナトダユウ


職業
人形浄瑠璃太夫

本名
吉田 団次郎

別名
初名=竹本 小さの太夫,前名=竹本 さの太夫(5代目)

生年月日
明治11年 8月31日

出生地
大阪・堺

経歴
明治26年2代目竹本越路太夫の門弟となり、小さの太夫と名乗る。のち32年5代目竹本さの太夫を経て、昭和5年7代目豊竹湊太夫を襲名した。

没年月日
昭和14年 2月11日 (1939年)


豊竹 湊太夫(6代目)
トヨタケ ミナトダユウ


職業
義太夫節太夫

本名
長谷川 長三郎

別名
初名=竹本 小長太夫,竹本 峰太夫

生年月日
明治4年 6月22日

経歴
義太夫節の5代目竹本組太夫に入門し、浄瑠璃の太夫となる。はじめ竹本小長太夫の名で高座に上がり、峰太夫を経て明治42年には6代目豊竹湊太夫を襲名。

没年月日
大正12年 9月20日 (1923年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「豊竹湊太夫」の解説

豊竹 湊太夫(6代目)
トヨタケ ミナトダユウ

明治・大正期の浄瑠璃の太夫



生年
明治4年6月22日(1871年)

没年
大正12(1923)年9月20日

本名
長谷川 長三郎

経歴
義太夫節の5代目竹本組太夫に入門し、浄瑠璃の太夫となる。はじめ竹本小長太夫の名で高座に上がり、峰太夫を経て明治42年には6代目豊竹湊太夫を襲名。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊竹湊太夫」の解説

豊竹湊太夫(5代) とよたけ-みなとだゆう

1800-1877 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
寛政12年生まれ。義太夫節の4代竹本土佐太夫の弟子で,婿養子。初名は竹本音羽太夫。天保(てんぽう)4年破門となるが,師の没後に3代竹本長門太夫(ながとだゆう)の門にはいり,嘉永(かえい)2年5代湊太夫を襲名。のち稲荷文楽芝居の櫓下(やぐらした)。明治5年引退。明治10年6月25日死去。78歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。本名は竹屋利兵衛。

豊竹湊太夫(4代) とよたけ-みなとだゆう

1800-1881 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
寛政12年生まれ。2代豊竹麓太夫(ふもとだゆう)の子。大坂の人。義太夫節の4代豊竹巴太夫(ともえだゆう),3代竹本長門太夫(ながとだゆう)の弟子。初名は豊竹和佐太夫。文政13年4代を襲名。師の巴太夫の没後,豊竹生駒太夫(いこまだゆう)と改名。引退後生駒伊八と称し,初代麓太夫の名跡をあずかった。明治14年死去。82歳。通称は卯之助。

豊竹湊太夫(初代) とよたけ-みなとだゆう

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
大坂の人。義太夫節の豊竹越前少掾(えちぜんのしょうじょう)の弟子。享保(きょうほう)17年(1732)大坂豊竹座で初舞台。師のワキをつとめたが,元文4年江戸肥前座にうつり,立者として活躍

豊竹湊太夫(6代) とよたけ-みなとだゆう

1871-1923 明治-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
明治4年6月22日生まれ。義太夫節の5代竹本組太夫の弟子。竹本小長太夫,峰太夫をへて明治42年6代を襲名した。大正12年9月20日死去。53歳。本名は長谷川長三郎。

豊竹湊太夫(2代) とよたけ-みなとだゆう

豊竹八重太夫(とよたけ-やえたゆう)(3代)

豊竹湊太夫(3代) とよたけ-みなとだゆう

豊竹麓太夫(とよたけ-ふもとだゆう)(2代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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