貝野村
かいのむら
[現在地名]中里村貝野、十日町市貝野
信濃川左岸にある。東の対岸は田沢村。上手の外丸村(現津南町)境の山中に阿寺、川沿いに上流から信州道に沿って宮中・堀之内・本屋敷・新屋敷の集落がある。宮中からは信州道を分岐して鰕池峠越で上下の鰕池村(現東頸城郡松之山町)へ通じる道が通る。鰕池峠の南には有倉山(六三二・九メートル)、北方には城山(六三七メートル)があり、いずれも頸城郡境をなす。信濃川左岸には、かつて島と称する数十町歩の良田があったが、近世末期に安養寺島と堀之内島が洪水のため流失。明治二九年(一八九六)に姿島が流失。現在は宮中島のみ残って、信濃川に湾曲して張出している。天保郷帳では、かつては姿村・安養寺村・新屋敷村・本屋敷村・堀ノ内村・宮中村の六ヵ村であった。元禄七年(一六九四)の妻有組村名書上帳(福原
氏蔵)に「貝野之内御水帳面是ハ六ケ村惣名ニ而貝野と申村ハ無之」とあり、村名はこれら六ヵ村の総称である。
貝野村
かいのむら
[現在地名]神崎町貝野
福本村の南に位置し、市川と支流越知川に挟まれた三角洲に立地する。神東郡に属し、西は市川を挟んで野村(現大河内町)。東部を生野街道が通る。中世は貝野庄とよばれた。慶長国絵図には「かいノ村」とみえる。また当村の南に「かいノ口」が記され、街道筋に一里塚が記入されている。領主の変遷は粟賀村と同じ。正保郷帳では田方二五五石余・畑方一三石余。天保郷帳では高二七九石余。慶安四年(一六五一)神西郡新野村(現大河内町)からの借入田地が流失しており(「一札」新野区有文書)、水損の多い地であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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