正式名称は一之宮貫前神社。
創建は社伝では安閑天皇元年三月。「神道集」(上野国一ノ宮事)には安閑天皇二年三月中頃に抜鉾大明神が上信国境の
抜鉾神(新抄格勅符抄、続日本後紀、三代実録、朝野群載、吾妻鏡、神道集)、抜鉾大明神(交替実録帳、神道集、上野国一ノ宮御縁起、上野国神名帳総社本、同豊橋市立図書館本―ヌキノサキと仮名あり、同佐々木本、西埜私記、上野国風土記、和漢三才図会―バツムノと仮名あり、延喜式神名帳頭註―ハツモと仮名あり)、抜鉾太神(一宮本上野国神名帳―ヌキサキと仮名あり)、抜鉾大神(佐々木本上野国神名帳、一宮抜鉾大神御縁起、巡礼旧神祠記目録)、抜鉾社(上野志)、抜鉾神社(神社啓蒙巻之四―ハツモノと仮名あり)、貫前神社(九条家本延喜式神名帳、上野国風土記、神名帳考証、巡礼旧神祠記目録、諸社祭神考)、貫前神(三代実録、日本後紀、朝野群載)、貫前大神(山吹日記)、貫前大明神(一宮順拝記、一宮巡詣記、国志、延喜式神名帳頭註)、貫前社などとあり、「一宮巡詣記」元禄九年(一六九六)六月一五日条に「本尊稚日女尊、相殿経津主命」とあるように、主神を女神、相殿を男神としている。つまり初め二神二社で、貫前神は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
群馬県富岡市一ノ宮に鎮座。経津主(ふつぬし)神,比売(ひめ)大神をまつる。現社名一之宮貫前神社。創建年代不詳。旧社家磯部氏は本姓物部氏との伝承をもつところよりしても,物部一族が古く氏神の石上神宮の経津主神を奉じ来り,鎮祭したものかとみられる。古名抜鋒(ぬきさき)また抜鉾(ぬきさき)と記すのも武神を示すものであろう。839年(承和6)従五位下,以後しだいに昇進し,880年(元慶4)従三位勲七等となり,延喜の制で名神大社,のち上野国一宮とされ,《上野国神名帳》に〈正一位抜鉾太神〉と記されている。上野国は武将の出入りがはげしかったが,藤原秀郷(ひでさと)が当社に治乱を祈願以降,源頼義・義家,新田義貞,脇屋義助,足利尊氏らが崇敬して種々の寄進をし,さらに北条,上杉,武田,織田,前田氏らも崇敬,社殿造営,神領寄進のことをし,戦乱の世にも古制による式年遷宮を行った。近世に入り,徳川家康が社殿造営のあと,1635年(寛永12)家光が現社殿を造営,朱印領176石余を寄進した。明治の制で国幣中社。本殿内部は2階となり,雷神小窓を有する特殊型式。申年ごとに仮殿を建て遷宮し,酉年に本殿へ還御の遷宮を行うほか,特殊神事の多いことで有名で,1月15日筒粥神事,2月22日注連釣行事,3月4日神酒造行事,3月14日御戸開祭,3月15日例祭,11月22日注連釣行事,12月8日川瀬行事,鹿卜神事,12月11日御機織神事,12月12日冬の御戸祭,御食盛行事,12月15日鎮の神事などを通して,神道的祭祀の根源も知りうるのである。
執筆者:鎌田 純一
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
※「貫前神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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